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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

キンジョウって、誰だ?

オーストラリアは2度目の訪問になる。8年前に地元南幌町のラジコンヘリの研修旅行で、シドニーとコメ生産で有名だったリートンに行った。今回は隣町、長沼町のあのヒール・ミヤイさんたちと7名で現地のファームショーと農場視察を行なう計画を昨年から進めてきた。3月1日から6日間、2100走破のツアーが始まった。
あっ、忘れていました。自己紹介をします。私の名前は岡部陽助、北海道・南幌町でコメ、大豆、小麦をつくっている長身のニヒルな33歳の独身です。
日程や訪問先などの細かいことはミヤイさんの頭の中にしかなかったので、水戸黄門の八兵衛旅行になる可能性を心配していた。千歳から香港経由で朝食におかゆを食べて、シドニーに着いたのがお昼頃。ミヤイさんはホテルに着くまでタクシーの運転手と「マイト!(仲間)」「グッドオンニュー!(いいね)」を連発しながら話をしていた。半日バスツアーの45歳のツアーガイドは福島に留学経験があり、シドニーに2人、東京に1人日本人の彼女がいると自慢していた。
彼はユダヤ系で戦後、父とイスラエルからやってきたという。シドニー湾の東部地区はさびれた漁村だったが、ユダヤ人の入植が始まり、土地を安く購入して家を建てた。今ではその一戸建ての住宅を最低でも5000万円にまで上昇させたと自慢していた。もちろんその背景にはすべてが2倍に上昇した2000年に開催されたシドニーオリンピックのバブルがあるようだ。
その後トヨタ・ハイエースの11人乗りを借りてシドニーを離れ、300kmほど内陸にある人口1万2000人のカウラに向かった。

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