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岡本信一の科学する農業

分かりやすさの落とし穴

私のブログ「あなたも農業コンサルタントになれる」の記事のなかで人気があるのは「有機栽培VS慣行栽培」だったり、『奇跡のリンゴ』に関することだったり、技術の話題よりも批判的な内容が多い。実は、最も人気がない記事こそ、栽培技術に関連するものである。 よって、この連載の人気にも不安を覚えるわけだが、あえて栽培技術に対する科学的なアプローチというテーマに触れてみたい。

情緒的、感覚的な理解では現状を正しく捉えていない

科学的に考えたり、数値データをとったりすることは栽培技術にとって今後、重要になってくるだろう。現状ではなかなかこの科学的なアプローチを重視してはいない。スマートアグリやIT技術の活用といっても、農業の周辺技術や流通分野への応用は進んでいても、栽培技術への活用が進まない理由は、その分かりにくさにあるように思う。
まず、科学的に考える姿勢というのは事実を冷徹に見極めることが極めて重要である。そのためにデータをとるということが必要になるのである。事実が分からなければ、情緒的、感覚的に捉えていることになり、正確に現状を把握していないということになる。これでは、対策をとりようもないし、対策をとったとしても的はずれな対応になってしまう。
たとえば、加工用の農産物の栽培現場では、加工歩留まりが30~70%の幅で人によって明らかに違いが生じることがある。自らの圃場しか見ていないと、歩留まりが30%であるということが当然のことのように考えてしまう。しかし、多くの方の圃場のデータを集めてみると、個人による栽培技術の違いは明らかになる。歩留まりが非常に低い人が採っている技術の改善策がいかに無意味であるのかがすぐに分かる。歩留まりが30%の人がとるべき改善策は、歩留まり向上策であり、最新技術の導入などではないのだ。
データを利用して、客観的に把握できなければ、技術はいつまでも情緒的・感覚的な対応で終わってしまう。数値データというのは、良くも悪くも厳然たる事実である。それをどのように捉えるのかが重要で、数値的な裏付けがないなかで行なうと、経験的な要素や勘に頼らざるを得なくなる。
ところが、実は経験や勘というのも非常に重要なのだ。数値データは集めるのに手間がかかる上に、その利用にも限界がある。優れた観察眼を持っていれば、データよりも自らの観察のほうがはるかに簡単で優れているという方もいらっしゃるだろう。それでは、データをとる意味などないのではないか……という考え方もできるが、実際にはデータをとることにより観察眼の優れた方にとっても、これまでに分からなかったことが明らかになることもある。

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