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特集

障害者や高齢者らとつくる農業経営


彼はそこで首を吊って死んだ。
眞一郎の提案でダテオの追悼録を出すことになった。でも、宮嶋は書く言葉が思い浮かばなかった。当時、学舎の設立から4年目。宮嶋は他のことも含めて心労がたたり、10日ほど寝たきりで過ごした。久しぶりの緩やかな時間の中で、ダテオが教えてくれたことに段々と気づくようになる。そして書くことが見つかった。それは、「人は、生まれ落ちた時から本当は独りだということ」。強いも弱いもない。弱さを認めて、自分ができることをすればいい。新得農場ができるのは彼らや彼女らの可能性を引き出すことだ。
復帰後、自分が倒れて世話をすることができなかったので、牛の何頭かは死んでいると思っていた。でも、農場を見回ると、障害者であるメンバーたちが餌やりや搾乳をこなしていた。
「誰でも可能性を持っている。その環境を作ってあげることが大切なんですね。そうすれば、みんなが協力して何かが築かれていく」
筆者がそうたずねると、宮嶋はうなずくように笑った。

【障害者たちは「メッセンジャー」】

彼は共働学舎で暮らすメンバーのことを「メッセンジャー」だという。そして、一人ひとりが「神様を連れてやってきた」とも。というのは、共働学舎に集う彼らや彼女らをここに追い詰めた原因を探れば、社会のゆがみとその解決策が見えてくるからだ。だからこそ、新得農場ではチーズづくりで「自然のリズムに沿ってつくる本物の味」を目指した。ページ数の関係で詳しく書けないのが残念だが、町の支援を得てチーズ工房を建てられたのもあるメンバーの力によるものだ。
これは決して慈善事業ではない。彼らは障害者雇用に関する公的な助成金には一切頼っていない。あくまでも「本物の味」を求めて、それぞれが持てる力を尽くしてきた。現代社会が打ち捨ててきたところに経営の向かう先があった。その結果は世界が評価する通りである。

Profile
宮嶋(みやじま) 望(のぞむ)
1951年、群馬県前橋市生まれ。自由学園最高学部を卒業後、渡米。ウィスコンシン大学畜産学部を卒業後、78年に北海道新得町に入植。NPO法人の共働学舎副理事長と新月の木国際協会副理事長などを務める。


CASE2
障害者はビジネスパートナー

1haのハウスでチンゲンサイとネギ、みつばを水耕栽培する静岡県浜松市の京丸園は、1997年からパートで障害者を毎年1人ずつ雇ってきた。現在働くのは22人(健常者を含めると62人)。その数と相関をなすように売り上げは増加。計1.2haのコメや露地野菜と合わせると、今では当時の4倍以上となる2億8000万円に達する。

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