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今月の数字

24万円/90万円 宮城県の農地集約を巡る農地の貸し手の年収

年末に宮城県の沿岸部で農業を営んでいた生産者十数人を訪ね、それぞれの経営について話を聞く機会があった。ほとんどの生産者は水稲と露地野菜を作付けしており、農機具や農業施設の大半を津波で失った。
つくづく感じたのは、野菜農家のリカバリーの早さだ。基礎を残して建物がすべて流されたある生産者は、同じ野菜を作っている専業農家仲間と「(被災後)1カ月のうちには種をまこう」を合言葉にしていたという。そして、被災1カ月後にはガレキが押し寄せていない内陸部の畑30aを借りて種をまき、6月には出荷を開始した。井戸水では塩が多く含まれて苗を作れなかったため、きれいな水を扱うのにポリタンクを使い、その後もボランティアに協力してもらいながらガレキを片付けて作付けを増やし、被災1年目に被災前の野菜の売上1,600万円の3割まで回復した。別の野菜農家も、建物の160cmの高さまで浸水し、仮設住宅で暮らしながらも自宅敷地内に山土を客土して震災した年の5月からレタスを作付けし、夏季には1日10万円の収入を得たという。その他、地元卸売市場の要請に応え、自費で農機具をそろえて8月から野菜を出荷している人もいた。
どの生産者も「コメを作っていても米価は下がるばかりで経営は成り立たない。野菜は農機具もそれほど高くないし、収入を得られる」と言い、共同経営に参加すればほぼ100%受けられる助成金を受け取らず、個人経営を継続する道を選択し、最小限の助成金を得ながらこれまでの蓄えで必要な設備や農機具に再投資している。
対照的に、水稲はほぼ1~2年間作付けができず、その間の収入は集落共同で行なうガレキの撤去作業で得られる作業賃のみだったという生産者も多い。田はガレキ撤去や除塩を行なっていったん原状に復帰してから改めて土地区画整理事業に入るため、1年は水稲ができないという所も多い。
そして、大規模区画整理に伴う大規模経営化が生産者の境遇を大きく分けている。以前は田と畑で3ha前後を経営していた生産者は、集落で農地を集積し、1地区1集団の集落営農型法人に参画するか、栽培を委託して地主となって地代を受け取るかという選択を行なうことになっている。集積規模は100ha前後になる法人もあり、農機具は100%助成されるものの、経営については未知数だ。
今回、生産者の多くから聞かれたのが「集落型の法人に参加する生産者と地主になる生産者の格差が大きくなり、地域がバラバラになる」という声だ。集落型の法人が支払う地代は10a当たり1万2,000円と定められているらしく、地主になる生産者の平均所有面積2haでは年間24万円にしかならず、そこから水利費を差し引くと生活していけない。すでに親戚同士で金銭の問題でもめているという話も聞く。

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