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日本で麻農業をはじめよう 聞いておきたい大麻草の正しい知識

約60年ぶりの復活が地域活性化に

本連載では、大麻草を研究テーマに掲げて博士号を取得した赤星栄志氏が、科学的な視点でこの植物の正しい知識を解説し、国内での栽培、関連産業の可能性を伝える。連載最終回は、前回に続いて国内で麻栽培が60年ぶりに復活した事例を取り上げる。鳥取県智頭町では麻栽培経験のある移住者と地元の古老、町が一体となって麻による町興しが行なわれている。麻栽培から始まる地域活性化に希望が託されている事例を紹介する。

町の支援で
栽培免許をスピード取得

神戸市出身の上野俊彦さん(34歳)は、2011年秋に鳥取県智頭町の限界集落に家族で移住した。同町を選んだ理由は、森をフィールドにした幼児教育を実践する「森のようちえん」に子どもたちを通わせたいと思ったからだ。移住前は、自然食品業界で有名な松田マヨネーズが出資した群馬県の農場(麻栽培の免許保持)で大麻草(以下、麻)栽培に従事していたが、東日本大震災による福島原発事故の影響によって離脱を余儀なくされた。上野さん自身が免許を持っていなかったため、移住後の麻栽培は諦めていた。
ところが、同じ集落に住む綾木守さん(当時88歳)から「昔はこの辺りでも苧(ヲ)を栽培しとった」という話を聞いた。苧とは麻の昔からの呼び名である。綾木さんからお手製の麻袋や麻糸などを手渡された瞬間、上野さんは鳥肌が立ったという。「できればこの地で栽培を復活させたい」と一念発起し、寺谷誠一郎・智頭町長に直談判をした。
寺谷町長は初めのうちこそ「あの大麻か、マリファナになるやつだよな?」と驚いていたが、上野さんの真面目な話をじっくりと聞いているうちに、町ぐるみで応援することを決断した。「爺さん婆さんしかいない限界集落に移住してきた若者の願いを町がきちんと応援する。耕作放棄地に麻を栽培し、町興しにつなげていく――」、このストーリーを町役場がサポートし、町長自らも免許取得に向けて奔走するに至る。
一方、上野さんは県の窓口に提案する前に、町内の麻に関する情報を集めた。鳥取大学家中研究室らの協力による本『恵みの山に想いを馳せる―智頭町山形の聞き書き―』に昔の麻栽培に関する記述を見つけた。麻の実を炒ったものを混ぜた麻味噌食べる文化、地元で有名な山菜料理屋にも麻の実を使った豆腐料理が今でもあることも分かった。そして、麻繊維がとれたら、日本三代実録に記載のある由緒ある神社の鈴縄や注連縄に使ってもらう協力も得た。古老たちには麻の重要性を書いた直筆の手紙を用意し、映像資料を作成するなど着々と準備を進めたのだ。
県庁への一度目の提案時には「大麻の免許など簡単にとれるものではない」と厳しい反応だったが、二度目は「監視カメラや柵などを準備しなければいけないですが、その辺りは心得ていますか?」と態度が少し変わり始めた。三度目の協議の際には「栽培免許を出すので、必要な準備をしておいてください」という話になった。

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