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特集

小さな顧客と価値を共有する経営者たち

かつて、物流システムが発達するにつれ、地方で作り大ロットで大消費地に売るという構図が確立し、全国どこでも食料を安価で安定的に入手できるようになった。一方で、自分の価値観で選ぶことに満足を感じるマーケット層も育ってきた。地産地消運動や直売所の認知向上、インターネットの普及などにより、現在は、そのようなマーケット層に生産者が直接販売できる環境が整っている。 さまざまな規模や志向のマーケット層が混在する中、価値を共有できる個人や小規模な飲食店など小さな顧客を満足させることにビジネスチャンスを見出してきた経営者たちがいる。彼らが追求する価値と直販の戦略を取材した。 (文・編集/平井ゆか)


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久松農園/小さくて強い農業のための
マーケティングを体現

久松達央氏(43)は、今や、農業界の時の人として多くのメディアに取り上げられ、若手の就農者にビジネスモデルとされている存在だ。脱サラ後、有機栽培を志し茨城県土浦市でゼロから農業を始めた新規就農者である。久松農園は、「おいしい野菜でお客さんを喜ばせる」ことを目的とし、少量多品目の野菜を個人と小規模な飲食店に直販している。久松氏にこの経営戦略に至ったマーケティング手法とプロモーション方法を聞いた。

久松氏の講演に訪れる若手の新規就農者たちは多い。その理由は、久松農園がゼロから始めた小規模な農業のビジネスモデルであること、自身で「日本一話のうまい農家」というように自身の経営を整理して説明できること、そして、マーケットの声を経営に反映するというマーケティングを自ら体現してみせていることであろう。
まず、久松氏が置かれてきた環境を説明しておきたい。久松氏は、有機農業を志して就農した当時を次のように振り返る。
「僕が大学生から社会人になるころは、盛んに環境問題が取り上げられていたころで、それに影響を受けました。同時に、有機農業がビジネスとして成立しはじめた時代でもあります」
就農前に1年間農業を学んだものの、両親が農業をしていたわけでもなく、すべてが初めての経験だった。栽培技術も、資金も、土地も、農業界でのネットワークもない。当時の有機農業の世界はお金の話はタブーで事業モデルは少なく、作ったものを一般の流通経路にのせて販売することも難しかった。
そのような環境下で、久松氏は、自身の目指す有機農業をするために母方の実家がある茨城県土浦市に農場を構えた。久松氏が目指す農業とは、旬の野菜を新鮮な状態で消費者の手元まで届けることである。土浦市は平地で温暖であるため露地栽培だけで1年中野菜が収穫でき、目指す農業に適した土地柄である。そこで少量多品目の生産をはじめ、現在、約200軒の個人と40軒弱の小規模な飲食店に直販している。
久松氏が考える「おいしい野菜」とは何か、どんなマーケティングとプロモーションを実践してきたのかを紹介する。

【おいしい野菜を少量多品目生産で提供する】

「僕の事業の目的は、おいしい野菜でお客さんに喜んでもらうこと。具体的には、旬の時期に、おいしい品種を育て、鮮度よく届けるところまでやらないと目的を達成したことになりません。畑から玄関までが農業だと思っています」
久松氏は、「おいしい野菜」は、時期(旬)、品種、鮮度の3つが8割程度、栽培方法等が2割程度からなると考えている。
「栽培時期、つまり旬かどうかの影響は大きいです。それは、どんなに栽培技術や設備が発達しても、原産地に適応した、その植物の遺伝的な形質から逃れられないからです」
また、香りも「おいしさ」を構成する重要な要素だと久松氏は言う。長時間保管・長距離輸送によって収穫から時間が経つと、経時劣化で香りが損なわれてしまう。
多品目の生産をするのも、常に適した時期のものだけを販売したいからだ。
「旬のものしかやらないんです。ホウレンソウは冬、キュウリは夏にしか作らない。ビニールハウスは使わず、基本的に露地栽培だけで年間50品目の野菜をローテーションで育てています。同じ品目の中でも品種と種まきの時期をずらしながら、販売するものを切らさないように工夫しています」
その生産計画は非常に細かく面倒だという。計画はすべてパソコン上で整理している。 
「旬を追いかけるというのはシンプルなようで手がかかる。ここに面白みを感じる人でないと、うちのスタッフにはなれません」

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