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江刺の稲

稲葉集落で見た元気ちゃんの笑顔

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第216回 2014年04月21日

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今月号のイベントレポートでも紹介しているが、4月2、3日の両日、農村経営研究会で京都府福知山市のみわ・ダッシュ村を訪ねて視察会を行なった。その内容は、そちらに譲るとして、みわ・ダッシュ村の副村長・山本晋也氏とその家族たちが移り住んだ稲葉集落と山本さん一家のことを紹介したい。
田舎暮らしブームというが、よそから田舎に住み着くことの難しさはよく言われることだ。そして、限界集落と呼ばれるような地域であればこそ、人々はよそから来る者を受け入れることを躊躇する。一方、得てして手前勝手な田舎暮らしを夢見ている人々には、昔ながらの村を維持するための共同作業や人々の気持ちが理解できない。新住民は孤立し、やがて村を出ていく。
稲葉集落は山に挟まれた沢沿いの谷地の集落だ。かつては12戸の家族が暮らしていたが、現在では山本家を含めて8戸、総人口12人。山本家以外はどの家も老人世帯である。集落の最深部の廃屋を年寄りたちの助けも得ながら改築して住む山本家は夫婦と4人の子供たちの6人家族。その4人の子供たちは集落皆の孫状態。末っ子で長女の元気ちゃん(3歳)の誕生は、数十年ぶりに稲葉集落が授かった赤ちゃん。文字通り稲葉集落のアイドルだ。山本さん夫婦は産婆さんを呼んで家での出産を望んでいたが、産婆さんの都合がつかず、やむを得ず福知山の病院で出産したという。前の晩、我々が泊まった宿屋に友だちたちと風呂に入りにきた長男・遊士丸君(14歳)もお父さんの連れであることに気づくとニコニコと挨拶をしてくれた。こんな子供たちの明るい声を耳にできることをお年寄りたちが喜ばないはずがない。彼らは老人たちの声に送られて登校し、帰るとおやつをもらい、山本家にはないテレビも見せてもらう。お年寄りたちはそれを待っているのだ。何年も村に失われていたものが戻ってきたのだ。
みわ・ダッシュ村を設立した清水三雄村長の社員募集に応募し、その理念に共感してダッシュ村に常駐する社員として入社した山本さん。自然に満ちあふれ、人々の本来あるべき暮らしに憧れていた山本さん夫妻がそこに住み付き、「過疎地・限界集落の活性化」というみわ・ダッシュ村の理念を実践することは夢の実現でもあった。しかし、美大を卒業し、国内外で自身の芸術活動を続けてきた、見るからに自由人の風貌の山本さんを集落のお年寄りたちはどのように感じたのだろう。村の皆が集まる集会に何度か顔を出した後に受け入れられた山本さん一家は、今では村にいなくてはならない人々になっている。若い山本さん夫婦は、村仕事の中心的働き手であるだけではなく、集落を超えた小・中学校のPTAでも中心人物だ。

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