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編集長インタビュー

食管制度の呪縛が解けぬ農業界 時代の変化に合わせて経営は変化するもの


昆 おにぎりが登場していなかったら、もっと悲劇的でしょうね。
市川 もっと消費が減っていますよね。私のところでも、お米と「おむすび」を売る併売店があるのですが、コメの売上1に対して、おむすび関係の売上は2ですよ。
昆 量としては? 
市川 量ではコメの方が多いでしょうね。米を炊いて、自分でおむすびをつくるほうが絶対に安いですよ。だけども、できあがったおむすびを買って、それをすぐに食べられる。おいしい、まずい、もちろん高い、安いもありますけれど、買う側は原料と比較していないですよね。
昆 それは当たり前ですよね。
市川 消費構造は変わっているのに、コメだけを考えているとそのコメというフィルター越しに世の中を見るから、見えなくなってしまう。
昆 それを米屋さんの市川さんがおっしゃっているんですよね。日本のコメ農業の不幸は政治的にコメを神格化しちゃっているからだと思うんですね。商品やマーケットという消費から逆算していくことを特別扱いしていて、そこから自由にならないとコメ生産者として極めて危険ですよと。みんなが飢えていた時代は生産本位で考えざるをえなかったんだけど、コンビニエンスストアがおにぎりをつくってくれたから今の消費が確保されているんです。
市川 もう一つ、いい例がありますよ。米粉用のコメのことを新規需要米って言いますね? 日本人が好きなものを好きなときに好きなだけ食べられて、誰の束縛も受けずに食生活を送っている時代に、新規需要をつくることほど難しいことはないでしょう。商売人になりたくない、リスクを取りたくない人が役人になるとすると、我われ会社経営者はリスクを承知で自分の世界に飛び込んでいる。最もビジネスから遠い人が、新規需要をつくれるわけがないんですよ。米粉用につくったコメが今、在庫の山になっています。最初はもの珍しくて食べるんですけど、日常的にはならないでしょう。
昆 はい。同じように私は飼料米に最大10万5000円までつけることには反対していますが、それも供給過剰分を埋め合わすまでには広がらないだろうと思っています。加工米も圧倒的に安いコメを供給できる能力を持つか、そうでなかったら、トウモロコシとかもっと別のことを考えないとね。
市川 農地というその地域でなければできないのが農業。商業とか工業というのは、どこでも自由に動ける。その違いはありますけど、お客さんに選んでいただけるようにいかに商品を開発して、サービスを良くしてお客様に選んでもらうかという経営の観点では同じです。安くつくる、少量だけど3倍で売れるものをつくる、多収のものをつくるとかつくり方だって選択肢がいろいろありますよね。それを考えるのが各々の経営なのに、誰かが決めてくれた品種を誰かが決めてくれた作り方でつくっているというのでは、全然経営努力のうちに入らないですよ。

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