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イベントレポート

農村経営研究会 第1回 定例研究会 そもそも自らの地域・農場の顧客にとっての魅力、価値とは何か?限界集落による農村ビジネスへのチャレンジ

(株)農業技術通信社は5月29日、農村経営研究会 第1回定例研究会を東京都内で開催し22名が参加した。今回は、福島県郡山市の農業経営者、ふるや農園の代表 降矢敏朗氏より里山の将来像について問題提起があり、それを受けて参加者が意見交換を行なった。 (取材・まとめ/平井ゆか)
降矢氏が農業を営む郡山市田村町川曲集落は、郡山駅から約15kmの場所にある中山間地で、世帯数83戸、総人口317名のいわゆる限界集落である。人口減少の問題だけではなく、この3年余りは原発事故の風評被害による流通、小売業の買い叩きにも遭ってきた。
そのような厳しい状況下にありながらも、降矢氏は、かつての豊かな原風景を取り戻したいという想いを持ち、その第一歩として耕作放棄された荒地を整備するとともに、都会から人を呼び込めるだけの農村ビジネスを豚の放牧を核として展開しようと立ち上がった。
以下、降矢氏の集落の状況、および、それに対して研究会メンバーから提供された知恵を紹介する。まだ農村経営の構想を模索し始めた段階である。今後、川曲集落の価値が見出され、降矢氏の夢が実現化していく過程を読者と共に追っていきたい。

降矢氏の意志
「原風景を取り戻したい」

降矢氏を動かしているのは、子供の頃、当たり前だった集落の原風景を取り戻したいという想いである。
降矢氏の住む川曲集落は、かつては、水田のほか、桑畑と葉タバコの畑が広がる美しい里山であった。しかし、養蚕と葉タバコの需要低迷によって農家の軒数と人口が減り、今では限界集落と呼ばれるようになった。3年前からは原発事故が人口減少に追い打ちをかけた。それに伴い耕作放棄地が増え、60haの畑と4~5haの水田は、竹が生い茂る荒地となっている。現在は、集落全体で水田45ha、1軒だけが営む葉タバコ畑を残すのみである。多くの家に併設された大規模な蚕室は、用途がないまま置かれている。
降矢氏自身は、代々続いてきた葉タバコと養蚕の複合経営の農業経営者であったが、1980年に、ヨーロッパの農業を視察したのを機に、ハウス栽培に切り替えた。30年近くハウスの中で働いてきたが、あるとき、ふと自分の住んでいる集落を見てその荒れように驚いた。
「子供の頃のような豊かな原風景を取り戻したい。集落に広がる閉塞感を破りたい」
そう考えた降矢氏は、同じように村の現状と将来に危機感を抱いていた仲間5~6人と共に活動をはじめた。
まず、耕作放棄地に牛を放牧して整備する「山口方式」を取り入れ、有志と出資して牛の放牧を始めた。しかし、牛にも好き嫌いがあり、雑草はすべて除くことができなかった。そこで、草木の根まで食べてくれる豚を飼い始めたところ耕作放棄地をきれいに整備することができた。豚肉は、飲食店に出荷してビジネスとして成立している。
また、耕作放棄地に繁殖してしまった竹を伐採し、竹炭を作る活動を始めた。幸い、集落に1人、炭窯作りの名人がいて、50~60代を中心とした約10人が教えを受けて炭窯を作った。この炭を利用して小川を浄化し、ホタルを増やす取り組みには、集落の子どもたちも参加した。子どもたちとは、景観整備の花壇を作る活動もしている。
区画整備されていない昔ながらの田園風景、その中を流れる小川、その小川を飛び交うホタル、豚の放牧による耕作放棄地の整備、その豚肉の加工、竹炭作り、蚕室という屋根つきの施設など、川曲集落にはビジネスにつながりそうな資源が多い。

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