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新・農業経営者ルポ

不屈の夫婦~飛ぶ夫、受ける妻~

これほど多くの不運に見舞われた農業経営者はいるだろうか。福島県郡山市の(有)降矢農園は1983年、カイワレダイコンの生産から始めた。順風満帆のさなか、O-157騒動に巻き込まれるも立て直す。2011年に福島原発事故、今年2月には豪雪被害と次々と災難に遭った。だが、代表取締役の降矢敏朗と妻で取締役のセツ子から悲壮感は伝わってこない。むしろ、次のステップに対する期待で一杯だった。 文/昆吉則、文・写真/平井ゆか
東北新幹線の郡山駅から太平洋側に向かって車で20分、阿武隈山系の中山間に人口わずか314人という川曲集落がある。この集落の山沿いに降矢農園はハウスと豚の放牧場、事務所を構えている。集落に入ると人通りの少ない山村ならではの静けさを感じた。
しかし、その静寂は農園とは無縁だ。ひとたび事務所に入るとにぎやかさに驚かされる。降矢夫妻と従業員たちの威勢の良い声や、「来ました」「どうも」とひっきりなしに訪れる客の声が飛び交っていた。
「うちは客が多いって言われるのよ」
セツ子は来客たちの世話を焼きながらそう話す。人が集まる会社の様子から夫妻の人柄がうかがえる。
現在、カイワレダイコンとむらさき小町、豆苗をはじめとするスプラウト、サンチュ、夏イチゴの生産、放牧養豚とその加工品販売を手がける。出荷先は、南東北三県の宮城、山形、福島で、地元を中心に事業を展開している。
これまで数々の不運に見舞われてきた。施設栽培の失敗、カイワレダイコンのO-157騒動、福島原発事故、そして今年2月の豪雪によるハウス倒壊だ。
「この辺りじゃ、うちは3回ぐらいつぶれたと思われてるよ。あっはっは」
敏朗はそう笑い飛ばす。
「結構、私たちってうまくいくのよ」
セツ子の言葉に敏朗もうなずき、声をそろえて言った。
「なんとかなる」
だが、想像を超える苦労を重ねてきたことは察しがつく。苦難を乗り越える力の源はどこにあるのか。
「男がロマンに走れるだけの余力を女の人が作ってあげるのがいいと思う。夫はこっちに行っていいかって、私に方向確認してるの」
セツ子の言葉からもわかるように、敏朗は見て確かめる前に新しいことを始める“飛ぶ人”だ。あちこち飛び回ってはアイデアを持ち帰り、セツ子がその話を聞いては共に楽しんで新たなことを実現する。この関係こそが不屈の経営を続ける力の源だといえるだろう。では、そんな2人がたどってきた力強い軌跡に迫りたい。

借金を抱えてカイワレを作る

敏朗がカイワレダイコンの生産を始めたのは82年のことになる。2年前、ヨーロッパに行ったのがきっかけだった。
それまで降矢家は集落の伝統的な農業を営んでいた。当時、養蚕とその餌になる桑、葉タバコ、コメの生産と牛の繁殖との複合経営が多く、降矢家も同様の経営をしていた。幼いころから家業を手伝っていた敏朗にとって、家業を継ぐのはなんの違和感もなかったという。中学校を卒業すると福島県の実習農場で1年間農業を学び、以後、父親の下で農作業に励んだ。

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