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新・農業経営者ルポ

養豚業と家畜商で年商26億円を稼ぐ女性経営者


「やはり私は父の血を引いているんだと思います。学生のころから専業主婦へのあこがれはありませんでした。いつも考えていたのは、どうしたら人様に迷惑をかけないで生きられるか、それからどんなことにチャレンジできるかといったこと。これはもう性分ですね」
大学で栄養士科を選び、栄養士の資格を取ったのも、「病院やレストランでいくらでも仕事がある」と思ったからだ。同じく手に職をつける理由から小型から大型までのトラックの運転免許や簿記2級の資格も取得している。
ただ、栄養士の仕事は3年で辞めた。父と同じ家畜商になるためだ。当然ながら周囲には反対された。
「畜産業界は女では無理だと散々言われました。もう会社を辞めてしまった後には、事務職を探して結婚をする準備をしろとも」
前田はそうした反応を冷静に受け止めながらも、どうしたらこの世界で生きていけるかを考え続けた。やがて出した結論は、男の何倍も努力して認めてもらうことだった。
「女は腰掛にしか見てもらえない。でも仕方ないと思うんです。結婚となれば相手に合わせざるを得ない。男性は女性と仕事する際にそういうリスクを見ていますよね。だから思ったんです。普通に仕事をしていても男性と対等には見てもらえないだろう、男性の3倍は努力しないといけないって」
その覚悟は本物だった。前田は家畜商としてだんだんと頭角を現していく。それを商売とするセブンワークスの年間販売頭数は父の時代に8500頭だったが、前田に代替わりしてからは10万頭へと急増した。

危機感から養豚業へ

06年、前田はそれまで母親が担当してきた養豚業を専門とするセブンフーズの経営にも乗り出す。その理由を尋ねると、「危機感ですね」と言う。前田が畜産業界に入ったころ、熊本県内には牛と豚を合わせて約100人の家畜商がいた。それが現在では10人前後までに減っているそうだ。
「2000年に入ってからの流通革命で、家畜商のような中間業者はいずれなくなるかもしれないという危機感を持つようになりました。どんな商売も下駄屋と同じ、いつまでも続かない。下駄屋が靴屋に変わったように、家畜商で食べていけるうちにもう一つ経営の柱を作ろうと決めたんです」
前田が母親から養豚業を継いでから、セブンフーズは一気に大規模化路線へと舵を切った。初年となる06年には常時飼養頭数を600頭から1200頭に拡大。さらに、08年度からの5年間で20倍に増頭した。現在は熊本県内に所有する六つの農場で2万5000頭を飼っている。すべて繁殖から肥育までの一貫経営である。

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