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編集長インタビュー

地域ブランドで世界市場を開拓

木内酒造は1823年、常陸国(現・茨城県)で日本酒の蔵元として創業した。いまの取締役の木内敏之氏は1994年、ビール醸造の規制緩和を受けて地ビール造りを始める。そして、わずか数年のうちに「常陸野ネストビール」ブランドが世界に認められ、海外での日本の地ビール市場を築く礎になった。その成功のカギを聞いた。 まとめ/平井ゆか
昆吉則(本誌編集長) 経営は、食っていかなくちゃならないというのが原点にあります。そのなかで、夢をどう実現させていくかが経営者にとっての課題です。貴社は日本酒の醸造会社でしたが、ビール事業を始め、いま、世界に市場を持っていらっしゃるそうですね。ビール事業にどう取り組んできたのかうかがいたいと思います。まず、ビールを始めたきっかけはなんだったんですか。
木内敏之(木内酒造合資会社取締役)日本酒の仕事は冬です。通年で従業員に働いてもらうには夏の仕事をつくらざるを得なかったというのがそもそものきっかけです。ビールを始めたのは20年前になります。
昆 最初はどれくらいのサイズで始めたんですか。
木内 年間20万本、つまりタンク5本分の60キロリットルを目標にしました。1回に2000リットルをつくるのが税務上の免許をクリアするための基準でしたので、それを最初の計画にしました。
昆 投資は?
木内 1億円くらいですかね。
昆 大きな実験ですね。「えいや」で始めたんですか。
木内 日本酒で利益が出ていたので、投資することに問題はありませんでした。当時もいまも健全経営を心がけ、お金を借りないでやっています。
昆 いまの工場はどれくらいの規模ですか。
木内 いまのビール工場への投資金額は20億円です。地ビールメーカーの単独資本としては当社が一番大きいです。
昆 従業員も増えたんでは?
木内 当時は20人でしたが、120人になりました。
昆 日本酒造りとビール造りは似ているんですか。
木内 日本酒は手造りですが、ビールはオートメーション化されているので別物ですね。
昆 日本酒とビールの売上比率は?
木内 ビールが60%。日本酒が30%、梅酒が10%です。梅酒は製法特許を持っています。ビールを造ったとき、アルコールを含んだ廃棄物を蒸留してアルコールを回収するという特許です。そのアルコールを梅酒の原液にしています。
昆 ビールの主力は、常陸野ネストビールブランドのホワイトエールと聞きましたが。
木内 はい。ラガーも造っています。最初は大手との差別化でエールビールを造りましたが、いま、缶詰めビールの工場を建設中で、来年からは缶詰めでラガービールを造ります。

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