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江刺の稲

「社長、交代の時期です!」

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第27回 1998年02月01日

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 この間の我が国における農業の位置は、戦後世界の東西両極の関係にそのまま模して語ることができた。冷戦の時代でも、東西両陣営(産業界と農業界)は結果として持ちつ持たれつの関係を保ってきた。食糧管理法下の特別栽培米制度はまさに我が国の農業界でのペレストロイカに伴う一部自由化だった。

 農業という社会主義圏のなかでも、米と酪農以外の分野では早くから市場経済の中に入り自由化を進めてきた。そのためにその分野の農業者たちの中には自由主義経済社会の住人として一人歩きをする人々も多かった。しかし、聖域であった稲作と米分野においては、かつてのソビエトおよび東欧諸国の基幹産業の様に、官僚支配体制の非効率な経営管理システムが最後まで続いてきた。

 そして、昨年秋の米価格の暴落。それも食糧庁がみずから米価水準を市場原理に乗せて自らの価格支持機能を放棄した。農業界の聖域であり、最後の砦でもあった「米」についても農水省の直轄管理から自由にしていくことを、農水省という農業のオーナー自らが追認したのだ。

 それはベルリンの壁を叩き壊し始めた東ベルリン市民の振舞いを押し止めることができず、ただ混乱の中でトンチンカンな交通整理をすることしかできない国境警備隊と東ベルリン政府の姿に似ていた。

 東欧諸国の共産党官僚たちがそうであったように、全てを解っている農水省のリーダーたちも、一方では己れの省益にこだわりながらも、歴史の発展方向のあるべき姿を認識しているのだ。そして、体制の移行をいかに混乱無く進めるかということに心を砕いているのであろう。いわば、一時代の役割を果してきた社長が、出資者や取引先、そして分からず屋の中間管理者兼労働組合の頼みに板挟みになりながら、現実的な対応策を示し得ないまま会長か相談役の立場に身を引くときのような思いなのではないだろうか。

 すでに、日本が戦後の開発途上国としてあった時代に果した農水省という経営者の役割は終りを告げたのである。

 言葉が足りないと誤解されやすい内容であるが、農地解放とは「地主」という農業・農村を管理する「経営者の追放」だった。

 そして、今、かつての地主たちが果していた「土を預かるもの」としての自負を含めて、新時代の農業経営者たちに農業の前面に立ってそれをリードしていく役割が託されようとしてきているのである。

 すでに彼らは、単なる農業就業者ではなく、小作者の立場にいながらも明確に経営主体としての自覚を持ち、合理的な思考力による経営手腕を発揮しつつある。しかもかつての地主たちが背負ってきた土を預かるものとしてのとしての自負を受け継ぎながら。

 この経営者交代は、巨大企業が小さな単位に分社化され、様々にアイデアを持ち行動力もあるが、若く経験のない経営者たちにそれぞれの経営をまかせていくようなものなのだ。また、その経営環境も決して楽なものではない。それでも、この抜擢に自らの夢をかけ、喜んでその困難を引き受ける農業経営者が沢山いることを僕は知っている。

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