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こう考えると、休息や睡眠は万物にとって必要であると考えねばならない。当然のことながら、農業の場合、土壌を生産基盤にしているので、土壌にも休息や睡眠を与えねばならないであろう。
どのように土壌に休息や睡眠を与えるか。考えるにボトムプラウ発達の歴史は深耕、反転・鋤込みにあったと思える。それは潜在能力の活用と土壌のリフレッシュであり、保全であったであろう。そのことは同時に土壌に休息を与えるものであったといえる。
図2を参照されたい。作物を栽培すれば、土壌は疲労する。その土壌を如何に休息させ、睡眠をとらせるかである。ボトムプラウによって反転・鋤込みをすれば、完全に下層に位置させることができる。疲労した土壌は有機残渣物、あるいは散布された堆厩肥と共に下層にあって存分に休息し、鋭気を養う。前年から休息していた土壌は微生物性・化学性・物理性に優れた再生土壌となって表層に出て新しい作物を育てる。ここにボトムプラウの特長が凝集する。
ロータリティラーではどうか。耕起と砕土整地が同時に行えることから便利な機械とされているが、この機械には思想がない。耕深は精々12cm程度であり、撹拌耕である。疲労した土壌を休息させる余裕などはない。
浅耕を連年繰り返すと、硬盤層が簡単に形成する。硬盤層は不透水層であり、湿害をもたらす。硬盤によって根が下層に伸びることを妨げられるので、旱魃害も発生する。これを回避するために同様にロータリを用いて高畦を造成し、作物を栽培するのがひとつのパターンであるが、果たしてこれが妥当であろうか。
確かに高畦を造成することである程度の収量は確保できるであろう。しかし、特定の土壌を苛めぬいての栽培である。これでは作物は健全に生育する訳がない。必然的に化学肥料、化学合成農薬を多投してなんとか形を整えているに過ぎない。
健康のためには自然食をと言いながら土の能力を生かさないで自然食を生産できる訳はないのである。言葉を換えると、ロータリティラーによる浅耕、ロータリによる高畦栽培は、点滴栽培である。病院で人間は点滴で太ることもできる。しかし、それが現代の高度な技術と誤解してはならない。点滴は病気治療のための一手段に過ぎないのである。
ちなみにライオンが人間を狩って空腹を満たそうとする時、点滴を受けている人間を食しようとするであろうか。人間の形をしていても、決して美味しいものではない筈である。健康を維持しようとすれば、自然食をしている人間を見つけ出し、これを倒す。栄養に満ち、それを食することが生きる道である。
篤農家がボトムアッププラウに執着するのは、土の能力を最大限に生かすものであることを知っているからである。また、反転・鋤込み耕は除草の省力化の基本であることも知っている。ロータリ耕の撹拌耕では、雑草は生えるままであろう。上層に閉じ込められることがなければ、雑草種子の休眠あけは早く、生えることを助長するばかりである。
どのように土壌に休息や睡眠を与えるか。考えるにボトムプラウ発達の歴史は深耕、反転・鋤込みにあったと思える。それは潜在能力の活用と土壌のリフレッシュであり、保全であったであろう。そのことは同時に土壌に休息を与えるものであったといえる。
図2を参照されたい。作物を栽培すれば、土壌は疲労する。その土壌を如何に休息させ、睡眠をとらせるかである。ボトムプラウによって反転・鋤込みをすれば、完全に下層に位置させることができる。疲労した土壌は有機残渣物、あるいは散布された堆厩肥と共に下層にあって存分に休息し、鋭気を養う。前年から休息していた土壌は微生物性・化学性・物理性に優れた再生土壌となって表層に出て新しい作物を育てる。ここにボトムプラウの特長が凝集する。
ロータリティラーではどうか。耕起と砕土整地が同時に行えることから便利な機械とされているが、この機械には思想がない。耕深は精々12cm程度であり、撹拌耕である。疲労した土壌を休息させる余裕などはない。
浅耕を連年繰り返すと、硬盤層が簡単に形成する。硬盤層は不透水層であり、湿害をもたらす。硬盤によって根が下層に伸びることを妨げられるので、旱魃害も発生する。これを回避するために同様にロータリを用いて高畦を造成し、作物を栽培するのがひとつのパターンであるが、果たしてこれが妥当であろうか。
確かに高畦を造成することである程度の収量は確保できるであろう。しかし、特定の土壌を苛めぬいての栽培である。これでは作物は健全に生育する訳がない。必然的に化学肥料、化学合成農薬を多投してなんとか形を整えているに過ぎない。
健康のためには自然食をと言いながら土の能力を生かさないで自然食を生産できる訳はないのである。言葉を換えると、ロータリティラーによる浅耕、ロータリによる高畦栽培は、点滴栽培である。病院で人間は点滴で太ることもできる。しかし、それが現代の高度な技術と誤解してはならない。点滴は病気治療のための一手段に過ぎないのである。
ちなみにライオンが人間を狩って空腹を満たそうとする時、点滴を受けている人間を食しようとするであろうか。人間の形をしていても、決して美味しいものではない筈である。健康を維持しようとすれば、自然食をしている人間を見つけ出し、これを倒す。栄養に満ち、それを食することが生きる道である。
篤農家がボトムアッププラウに執着するのは、土の能力を最大限に生かすものであることを知っているからである。また、反転・鋤込み耕は除草の省力化の基本であることも知っている。ロータリ耕の撹拌耕では、雑草は生えるままであろう。上層に閉じ込められることがなければ、雑草種子の休眠あけは早く、生えることを助長するばかりである。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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