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農業経営者ルポ

尊敬すべき「大バカ者」がここにいる

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第28回 1998年04月01日

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今、我が国で「農家であること」とは、大変な利権あるいは特権である。しかし、多くの農家はそれに気付かず、相変わらず被害者意識を煽られ続けている。その反対に、非農業者が困難を乗り越えて、ある者はそこにビジネスチャンスを求め、そしてある者は農業者だから果せる現代社会での役割りと誇りある生き方を求めて、農業に取り組もうとしている。
 今、我が国で「農家であること」とは、大変な利権あるいは特権である。

 しかし、多くの農家はそれに気付かず、相変わらず被害者意識を煽られ続けている。その反対に、非農業者が困難を乗り越えて、ある者はそこにビジネスチャンスを求め、そしてある者は農業者だから果せる現代社会での役割りと誇りある生き方を求めて、農業に取り組もうとしている。

 長友邦之さん(43歳)は農業とは関係のない都会の教員家庭で育った。しかし今は、約1.3haの田畑を借りてコマツナ、ホウレンソウを主体とした野菜と稲を無農薬栽培で作る農家である。田畑はすべて借地。横浜市都築区は高速道路が空いていれば都心からでも車で30分の場所にある文字通りの都市農家だ。


不合格だった農学部の面接


 「きっかけはある私立大学の農学部に推薦入学するための面接を受けたことなんですよ」と、長友さんは思い出し笑いをした。

 農学部受験もあそこなら推薦入学できると先生に言われたからにすぎない。

 面接官の教授が尋ねる農学部への志望動機に、長友さんは思いつくまま

 「農業をやってみたいのです。土地がなくても借りればよいではないですか」と答えた。今、思えばまったくの正論である。だが、当時の長友さんにとっては「それも悪くはないナ」と思う程度の認識だった。

 しかし、教授は長友少年を理解できなかった。彼はムッとした顔をしながら、概略、農地法という法律があって農家でなければ農業をするのはほとんど無理なんだというような説明をした。

 そして2日後、出身高校ではあまり前例のない「不合格通知」が家に届いた。

 あらためて受け直した大学では経済学部に入り貿易学を専攻した。

 大学を出ての就職先は医療関係を中心とする小さな貿易商社だった。仕事は面白かった。というより自ら仕事を面白がったし、仕事もさせてもらえた。社歴は短くとも仕事を通して時代を読む目を学んだような気がした。

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