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トマトの茎葉が充分に腐植したところで、いよいよ耕起である。二段耕プラウは第一ボトム(心土プラウ)の高さを任意に調整できるので(写真9)、作土深、心土深を自在に設定できる。これまで、長い間使って疲労しきった土壌を完全に下層に鋤込むために、反転鋤込み状況を見ながらそれぞれの耕起深を設定する。
ハウスの中の下層土は、比較的水分が多く、耕起した土壌の崩れが少なく、大きく上方に鋤上げられる。と言うことは、その鋤き跡が大きな空間になっていることであり、第二ボトム(作土プラウ)による作土の鋤込みが容易である。こうして上下層が完全に入れ替わる。高木氏は作土の耕起深を25cmとし(写真6)、心土の耕起深を20cmにセットした(写真7)。
最下層に鋤込まれたそれまでの疲労した作土は、その位置で5年、あるいは6年休養することになる。下層で充分に休養すれば、その間に雑菌なども消滅させて、次の出番に備えることになる。
二段耕は、ハウスの中でも45cmから50cmの耕起深になるので、その片側に大きく土壌が移動することになる。最初の列が高くなり、最後の列が凹んでしまうが、これをどうするかである。
水田でプラウを使う人の中に2回起こしをする人がいる。最初に右反転をしておいたら、土壌が乾いて乾土効果が発現することを見極め、再度左反転で耕起するのである。これで、水田は元の通り平坦になる。
高木氏もこれと同じように、二段耕プラウの第一ボトム(心土プラウ)を引き上げて、二連プラウに調整し、反対側から耕起して凹みに土壌を戻し、全体を平坦にしている(写真3~5、10、8)。「馬鹿と鋏は使いよう」と言う言葉があるが、プラウも使いようである。
心土は表層に浮上し、太陽の光を受けて乾燥する。還元土は酸化し、土壌微生物も活気を取り戻す。土壌改良資材や有機質肥料も充分に混和され、新しいミニトマトの植付けを待つことになる。
その結果は、やはり見事である。生育が揃い、綺麗な結実である。健康そのものであり、期待を裏切っていない。合理的に手を尽くせば、その期待に応えるものである。(写真11、12)。
こうして見ると、プラウには限りない可能性があることを知るであろう。ハウスの忌地現象も見事に克服しているのである。しかも、大きな経費を掛けているものでもない。
人に限らず、相手の立場を考慮し、親切にすれば、親切にされるものと考えるのが妥当である。何事によらず親切にしないで親切にされる訳がない。農業が土地を生産基盤にするものであれば、まず土に親切にすることである。土を大事にし、労りをもって接すれば、土は必ず何かをもってその志に応えるであろう。
ハウスの中の下層土は、比較的水分が多く、耕起した土壌の崩れが少なく、大きく上方に鋤上げられる。と言うことは、その鋤き跡が大きな空間になっていることであり、第二ボトム(作土プラウ)による作土の鋤込みが容易である。こうして上下層が完全に入れ替わる。高木氏は作土の耕起深を25cmとし(写真6)、心土の耕起深を20cmにセットした(写真7)。
最下層に鋤込まれたそれまでの疲労した作土は、その位置で5年、あるいは6年休養することになる。下層で充分に休養すれば、その間に雑菌なども消滅させて、次の出番に備えることになる。
二段耕は、ハウスの中でも45cmから50cmの耕起深になるので、その片側に大きく土壌が移動することになる。最初の列が高くなり、最後の列が凹んでしまうが、これをどうするかである。
水田でプラウを使う人の中に2回起こしをする人がいる。最初に右反転をしておいたら、土壌が乾いて乾土効果が発現することを見極め、再度左反転で耕起するのである。これで、水田は元の通り平坦になる。
高木氏もこれと同じように、二段耕プラウの第一ボトム(心土プラウ)を引き上げて、二連プラウに調整し、反対側から耕起して凹みに土壌を戻し、全体を平坦にしている(写真3~5、10、8)。「馬鹿と鋏は使いよう」と言う言葉があるが、プラウも使いようである。
心土は表層に浮上し、太陽の光を受けて乾燥する。還元土は酸化し、土壌微生物も活気を取り戻す。土壌改良資材や有機質肥料も充分に混和され、新しいミニトマトの植付けを待つことになる。
その結果は、やはり見事である。生育が揃い、綺麗な結実である。健康そのものであり、期待を裏切っていない。合理的に手を尽くせば、その期待に応えるものである。(写真11、12)。
こうして見ると、プラウには限りない可能性があることを知るであろう。ハウスの忌地現象も見事に克服しているのである。しかも、大きな経費を掛けているものでもない。
人に限らず、相手の立場を考慮し、親切にすれば、親切にされるものと考えるのが妥当である。何事によらず親切にしないで親切にされる訳がない。農業が土地を生産基盤にするものであれば、まず土に親切にすることである。土を大事にし、労りをもって接すれば、土は必ず何かをもってその志に応えるであろう。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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