ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

過疎の中山間地に経営の可能性を見つける

 集落の背後に山が迫る同地区は、かつて林業が盛んだった。父親の春雄によれば、かつては山の仕事だけでも十分に生活が成り立っていたという。しかし現在、木を植え、その管理をして生活しようとする人はいない。価格が見合わないだけでなく、索道を張りめぐらせて山から材木を搬出する技術と体力を持つ者が、村では高木だけになってしまったからだ。

 高木は子供時代から父親に連れられて山を遊び場とし、そこで父から技術を受け継いできた。父の時代から使ってきたウインチやワイヤ、クレーン車などの機械は、丁寧にメンテナンスされて今も健在だ。山で使う車も、廃車されたものをポンコツ価格で購入したものばかり。機械化のコストをかけず、自家労力でこなすことでこそ成り立つ山仕事なのである。

 ところが、山林所有者自身は山林経営に見切りをつけても、送電線管理のために電力会社が木を伐採する。切り倒した木はそのままにすれば金にならないだけでなく、大雨の際などに災害につながる恐れもある。その始末を高木は依頼されるのだ。時に高値がつくこともあるが、高木しか材木搬出を請け負う者がいないのは、手間賃代として木をもらったとしても、それだけでは見合いの良い仕事ではないからだろう。それどころか、道路のない場所から木を持ち出すための索道を張るため、通り道となる山の所有者の許可を得ることから始めなければならない。

 高木が山仕事に取り組むのは、木を売ることで得る利益や、山を守るという目的だけではない。

 お墓だけを残して町に移り住む家も少なくない。そんな人々の代わりに故郷を管理することは、時代に求められる仕事になるはずだ。人々は故郷を必要としなくなるだろうか。むしろ、その反対ではないだろうか。年老いたおじいさんだけを残して、親の代から町で暮らしてきた孫やひ孫の世代であればこそ、住む者のいなくなった故郷を思い出し、そこでの暮らしを夏の一時期だけでも取り戻すチャンスを求めているはずだ。大きな費用や手間、そして時に鬱陶しくもある人間関係の負担さえなければ……。

 そんなことを請け負える人が故郷にいたら、きっと喜ばれるはずだ。その村に出自を持つ者だけでなく、現代という時代であればこそ里山のある村、そこでの遊びや水田を含めた風土そのものを管理し、そして楽しませる。人々の期待に応えるそんなサービスの事業化も可能なはずだ。里山から湧き出る清れつな水に育まれた食味の高いコメだけでなく、背景にある風土そのものも、顧客に満足を与えるのである。

関連記事

powered by weblio