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農業経営者ルポ

好きで選んだ道だけど、未だ迷いの中にいる

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第31回 1998年08月01日

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養田勝重さん(47歳)は菊作りを始めて26年。菊との出会いは高校3年生の秋に見た新聞記事が最初だった。「菊栽培で年間売上〇百万円」当時としては想像もつかない売上を上げる農家が栃木県内にいることを記事は伝えていた。読んだ瞬間に養田さんは自分の進路を決めた。
 養田勝重さん(47歳)は菊作りを始めて26年。菊との出会いは高校3年生の秋に見た新聞記事が最初だった。
「菊栽培で年間売上〇百万円」

 当時としては想像もつかない売上を上げる農家が栃木県内にいることを記事は伝えていた。読んだ瞬間に養田さんは自分の進路を決めた。

 すぐさま先生に卒業後の研修先斡旋を頼み、卒業と同時に愛知県の菊生産者に研修生として住込んだ。1年間の研修から家に戻ると、すぐに450坪のハウスを建てた。減反が始まった年だった。

 研修から帰ったばかりの「若増」が450坪のハウスを建てるということだけで、当時の村人は驚いた。しかも、花作りを仕事にするというのだ。後継者育成資金だけでは足りず父親名義での借金をして始めた養田さんのチャレンジだった。

 始めた菊作りは文字通り試行錯誤の連続だった。何も解らずに始めた菊作りであっても、最初の数年間は土が菊を育ててくれた。市場も上げ潮だった。オイルショックの年に600坪のH鋼ガラスハウスに建て換えた。従来のハウスだと燃料代がかかり過ぎるからだった。その借金を返済するとさらに600坪を増築して現在の1200坪の規模まで成長した。

 そして、平成4年には点滴灌水による養液土耕システムを導入する。

 養液土耕技術の導入は、栃木農試花卉部の指導を受けたものだが、試験場でもまだテスト段階の技術だった。養田さんは養液土耕栽培に現場で取組んだ最初の経営者だった。

 カルシウムなどを別にすれば元肥は一切与えず、灌水と同時に肥料も作物の根域に必要量だけを直接与えるという「養液土耕技術」の導入は、養田さんがそれまで20年間続けてきた菊作り、作物栽培への考え方を180度変えるものだった。

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