ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

農業経営者ルポ

好きで選んだ道だけど、未だ迷いの中にいる

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第31回 1998年08月01日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ
 栃木農試に通い、導入業者の指導を受けながら平成4年に養液土耕の設備を導入した。


体が憶えている過剰施肥


 養田さんのここ2、3年の施肥量はチッソ成分で2~3kgだ。施肥量は10分の1になっている。施肥量を減らしても植物の樹液を計ってみると必要量は吸収している。指導されるままに大量投入してきたリン酸は、5年たった今でも過剰であり、目立って濃度が下がる所までにはなっていない。今年の養田さんのリン酸施肥量はゼロだ。

 「作物は肥料で育つんじゃないという考えに徹しきるまでは大変だった」と養田さんは笑う。

 理屈から言えば、カルシウムや微量要素を除けば、養田さんのハウスは理屈では施肥ゼロでも良い。しかし、最初はそれを半分に減らすのがやっとで、今のようなレベルにまで施肥量を下げる勇気は無かった。

 頭では解っていても体が肥料を与えてしまうのだ。体が憶え込んでしまった「習慣」や「経験」から自由になることは養田さんにとっても難しいことだった。作物の具合が悪ければどうしても肥料を減らしたことが頭をよぎる。失敗すれば飯が食えない現実の生産者であり、自然を相手にした経験から学ぶという農業であればこそ、人は経験や習慣に縛られやすいのだ。

 体に染みついた過剰施肥の習慣から自由になるには、何よりも「経験」や「習慣」を疑う「知識」が必要だった。土や肥料や栄養といったことを科学的に理解することだ。それまで解っていると思い込んでいた聞きかじり知識や常識はいい加減なものだった。

 養田さんは、まず子供たちの中学・高校の理科、化学、物理、生物の教科書を借りて読むことから始めた。同じ場所を3度4度と繰り返し読返した。様々な勉強会やセミナーに出たし、沢山の専門家やメーカーの営業マンたちの話も聞いた。20年の経験を持つ菊作りの篤農家だなどと見栄を張る養田さんではなかった。だからこそ人は養田さんに協力する。学べば学ぶほど、自ら実践的にテストしデータを集めれば集めるほど、科学が知り得ていることの限界やデータ蓄積の不足も思い知らされた。それは同時に、作物を育てること、自然や土を利用することの奥の深さを感じることでもあった。

 養田さんを変えて行ったのは、様々な分析機器や試薬を自分自身の手で使い、土壌溶液や樹液を取り、施肥量、気温、地温、日照量などに照らし合せながら、そのデータを記録し続ける体験だった。それが土や作物をそれまで以上に深く見つめさせた。人から答えを教えてもらっても解決にはならないのだ。

関連記事

powered by weblio