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農業経営者ルポ

「経営者」を目指すなら原点を持て

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第32回 1998年09月01日

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 作った野菜は地元ではなく群馬の市場に持ち込んだ。野菜作りはまだ素人だった。専門に高原野菜をやってきた人達と競争したのでは負けると考えたからだ。でも群馬は準高冷地。そこに高冷地の野菜を持込めば勝負になる。

 畑で1日作業をして、夕方6時に畑を出て夜の12時には家に帰ってこられる約100km圏内の市場を選んだ。それなら翌日7時からは仕事ができる。翌日の作業に支障の無い距離なのだ。皆がテレビを見ている間に稼ぐのだ。

 市場に行くことによって産地の変化や市場の要求も知った。商品の勉強もできた。人の付き合いもできた。そのことが、作るだけの農民から商売の出来る農業経営者として横森さんを育てた。

 最初に作ったのはダイコン。一番作りやすかったし経費もかからなかった。それからハクサイ、レタス、などと幅を広げていった。市場に行くことで漬物屋さんと直で契約栽培するきっかけにもなった。自ら市場に運んでいたのは5年間。3年位でダイコンを止め、ハクサイやレタスに代わり、半分は契約栽培の野沢菜を作るようになり経営を安定させていった。

 しかし、5、6年位たった頃。面積が大きくなり、自分で市場に持って行くことが限界になってきた。農協に予冷施設ができたこともあって、農協に出荷するようになった。その出荷組合に参加したのだ。

 同時に、そのころに作物に連作障害が出始めてきた。今から15年位前だった。色々試した末に、炭、木酢液に出くわした。それが横森さんの人生や野菜作りを大きく変えていった。それまでも堆肥を沢山作ってきたし、昔ながらに良いと言われることは色々やってはみたが、連作障害は治らなかった。

 きっかけはある講演会だった。派米農業研修生の先輩で木酢液の販売をしていた人の話を聞いたのだ。その人は木酢液を買えとは一言も言わない。それで、自分から売ってる場所を聞き出し木酢液を使ってみた。宮崎みどり製薬という会社が作るネッカリッチという資材だった。3年間使って試してみようと思っていたが、その年から効果が出た。他にも試した人はいたが、皆が効果が出ているという訳ではなかった。後から解ったのだが、堆肥などがよく入っていて土の肥えている人ほど木酢液や炭の効果が出るのだった。体力のある人ほど病気になっても回復力が強いように、横森さんの畑では目に見えて効果が出たのだ。

 そうなると、横森さん自身が木酢液の宣伝塔になってしまった。しかし、横森さんはそれを有難いと思った。今度は、様々な雑誌の記者や研究者あるいはいろんな商売をする人達が訪ねてきた。横森さんはその人達を可能な限り受け入れてきた。木酢液を売る会社から宣伝費を貰うわけではない。それはむしろ、ネッカリッチという木酢液の資材を売る業者のありようを意気に感じてのものだった。

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