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特集

こんなケース、あんなケース
私たちの直売所!!

農家の危機感から生まれた直売所

 埼玉県花園町はもともと養蚕の盛んな町であった。それが昭和47年のオイルショック以降、生糸は中国産のものに押され低迷していった。昭和50年代、農家は養蚕から、野菜栽培と当時ブームであった植木へと生産体系をシフトしていく。圃場整備を行い、当時としては破格の、1機で20町歩カバーできる畑地灌漑設備を5機導入するなど町を挙げて生産環境を整えた。農家は畑地灌漑組合に加入し、管を圃場に引けば夏場スプリンクラーで水撒きできるようになった。しかし、産地としては後発で、栽培技術も販路も持っていなかった。そこで販路を求めて、数件の農家が無人直売所を始めた。更に、関越自動道開設をにらんで町の直売所を作ろうと農協や役場に働き掛ける農家が現れる。直売所を要望する農家の数は増え、及び腰であった農協も農家に押される形で昭和58年花園農協農産物直売所を開設した。

 町内の植木農家と施設野菜農家120戸が参加して花園直売所は始まった。野菜は、「新鮮・安全・安いをモットーにして、朝取りのものを市場よりも安く提供するため頑張った」と現花園直売所所長の高荷政行さんが説明してくれた。初年度の売り上げは1億4千万ほどであったのが、評判は口コミで広がり、売り上げ・集客数共に年毎に伸び現在に至っている。野菜においては、花園農協の取扱高8億の内4億6千万を直売所が占め、専業・兼業を含めた町内農家戸数784の内の372戸が参加するまでになった。


新鮮さの確保と生産者間のフェアな競争

 しかし当初は、品質にもバラツキが多く、規格の統一もされていなかった。良い物も悪い物も大小も関係なく同じ値段で売られた。同じ100円なら当然、良い物から売れていく。ところが、品薄になると悪い品物も同じ値段で出ていく。すると良い物を作っている農家からは「あんな品物が同じ100円で売れてしまってよいのか」という不満が出る。

 そこで、出荷時期直前に生産者に集まってもらって直売所規格を作り、A規格B規格と規格単価を設定、品目に限っての意志統一を計る「芽揃え会」を発足させた。価格は市場価格の中値を基準として毎週日曜決定することとした。直売所の手数料10%を入れても、農家にとっても顧客にとってもハッピーな価格となる。そして、決定した価格は農家にも顧客にも見れるよう黒板に表示することにした。更にバーコードによる生産者ごとの売り上げ管理をするためにPOSシステムを導入した。

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