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農業経営者ルポ

夫婦で共有した農家であることの夢と理想

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第33回 1998年10月01日

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外山勝則さんと外山聖子さんを、あえて、夫婦であり同僚(パートナー)であると紹介したい。共通する夢と理想を持ち、家族と外山農場の経営を、受け継ぎ未来へ広げる二人の主宰者なのである。
 外山勝則さんと外山聖子さんを、あえて、夫婦であり同僚(パートナー)であると紹介したい。共通する夢と理想を持ち、家族と外山農場の経営を、受け継ぎ未来へ広げる二人の主宰者なのである。

 外山農場は、36haの畑に麦、加工・生食用を含めてのバレイショ、ビート、大豆・小豆・インゲンの豆類、スイートコーンなどの一般畑作の他、カボチャ、アスパラなどの野菜を栽培している。帯広の畑作農家としては比較的規模の大きな農家であろう。

 家族は、経営者の外山勝則さん(41歳)と聖子さん(39歳)の間に中学生を頭に4人の男の子。そして勝則さんのご両親。忙しい時期にはご両親も作業を手伝うが、経営は勝則さん夫妻にバトンタッチされている。労働力はパートの労働力を求めることもあるが、基本的には家族労働力でこなせる経営を目指している。

 勝則さんは、農業経営者としての地域活動の他にも北海道のトップ経営者の自主的経営研究会である「北海道土を考える会」の前会長であり、帯広市のJCの活動等を通した異業種交流活動や、夫人の聖子さんとともに消費地の子供たちを自宅にファームステイさせるといった、農家であることの社会的役割を果すことにも熱心な人である。

 一方、聖子さんは、宮城県の農家に生まれ、子供時代から農業をするのだと決めていたという。北海道の酪農に憧れ、北海道で酪農実習もした。実習先の経営主が酪農学園の卒業生だったこともあり、酪農学園大学の短大に進学。卒業後は、道庁に就職し生活改良普及員となった。そして、勝則さんと出会う。

 二人の結婚は昭和39年、ご主人が27歳の時だ。お見合いだった。

 「彼女は僕の歩く道に光を照らしてくれる人です」

 外山勝則さんは横に座る聖子さんの方を見ながらそう言った。それは、加工原料としての農産物生産が主体の現在の経営に加えて、聖子さんが中心になって取り組んでいる、お客さんの顔が見え、食べる人との交流の中で作る農業経営を目指す、外山農場のもう一つの新しい道のことであるとともに、夫婦の目指す人生の道でもあるようだった。

 アメリカ大リーグのスラッガー、マグワイア選手を思わせる逞しい体格の勝則さんが、そんな台詞をスラリと言ってのけることに、農家というより日本人の夫婦観や家族観の変化を感じた。でも、それは聞いている者にとっても、何かすがすがしさのようなものを感じさせる一言だった。

 今回は、そんな外山夫妻(勝則さんと聖子さん)のことを紹介したい。

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