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農業経営者ルポ

夫婦で共有した農家であることの夢と理想

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第33回 1998年10月01日

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 お互いが責任を持って自分を主張するからこそ相手も見出すことができ、そして相手を否定することではない納得のいく合意も図れるのだということを知った。

 同時に、アメリカ人の農家が自分の耕地の大きさや力を自慢するのではなく、家族の歴史、苦労に耐え抜いてきた先祖を持つことを誇りとする人々であることを知った。ホームステイ先の家族も、何代も前の先祖が北欧から東海岸に上陸し、そこからアメリカの西の端にあるワシントン州の地で農業を始めるまでの歩んできた道と、その苦労に打ち勝ってきた先祖を持つこと、また自分がその誇りを受け継ぐ者であることを、外来の若者である勝則さんに誇らしく語った。


社会の中に自ら生まれ直す


 勝則さんにとってアメリカで働き、そこで生活をすることは、自分自身の意見を持つことだった。そして、自分を語ることを通して、自分自身を見つめることだったのかもしれない。

 勝則さんの短大時代やアメリカでの生活は、彼が自ら村や家族を越えたより広い社会の中に「生まれ直す」ことを学ぶ場でもあった。

 勝則さんは、22歳で帰国した後も、青年団活動、農協青年部、農協の活動だけでなく、地域を越えた集まりにも積極的に参加し、学びながら自らも発言していった。内に向かうのではなく地域や農業の外部に向かって働きかければこそ、自分自身や家族、地域、農業を考えた。それは常に、受け継いだものへの感謝と、未来に残すべき自らの責任を問うことでもあった。

 村社会や家族のような同質の者たちだけで構成する社会や集団の中だけで生きる「村の大人」になるのなら、帰属する集団にさざ波を立てずに調和することを知るだけですむ。でも、すでに農民が村内だけの論理で生きていける時代ではない。村の中だけで通用する論理に従うことしか知らぬ「村の大人」たちは、村や農業の外部にある社会や論理に出くわした時に動揺を隠せない。彼らは気位いばかり高くても、自分たちと別の論理を認めることや、自らの伝統や風土が創り上げてきた固有の論理を誇りを持って主張することもできず、不要な摩擦や混乱の中に陥ってしまう。男と女、夫と妻の関係も同じなのではないだろうか。

 人は、彼の誕生を祝福してくれる家族や村人の間に「産み付けられる」が、自立した個人として生きて行くためには、より広い世界の中に「自ら生まれ直す」必要があるのだ。

 外山農場では、異業種の人や消費者を仲間にした様々なイベントを開いている。ファームステイの子供たちや農水省の人が研修のために宿泊するために夫婦で納屋の改造をしたりもしている。でも、そのことが外山農場としての直接的な利益につながるわけではなく、両親も笑って協力してくれていても、充分な納得を得られているわけではないようだ。ましてや地域の人々には「観光バスまで呼んで何している」と冷やかされたりもする。

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