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【農業経営者ルポ】
お客さんではなくファンができる経営
- 編集部
- 第35回 1998年12月01日
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浅野悦男さん(55歳)は、落花生と野菜産地のとしてしられる千葉県八街市の農業経営者である。昭和19年生まれ。年をとった父に変わり17歳で高校中退して農業を始めた。麦と落花生そしてサツマイモが経営の中心だった。
青年時代の浅野さんには師ともいうべき農業の先生がいた。埼玉県東大宮に住む山田さんという農家だった。その人は、昭和30年代に10kgで3千500円という値の付くサツマイモ(金時)を作る人だった。当時でも、米よりはるかに高いサツマイモである。山田さんは自分の技術を何の見返りも求めずに誰にでも教えようとする人だった。
基本は「深耕」と「土に返す」こと。山田さんは言った。
「良いイモを作ろうと思うな。良いイモが出来る土を作れ」
エンピ(鍬)で土を2段に起こして反転耕起をした。そして、麦のカラを鋤込んだ。10馬力のトラクタが入るとトラクタ用の鋤を使い、やがてプラウへと変わっていた。
野菜が中心になったのは43年頃から。同時に、浅野さんは無農薬の野菜作りを試すようになっていった。作物によっては使う必要のないものが育つようになってきたからだ。
青年時代の浅野さんには師ともいうべき農業の先生がいた。埼玉県東大宮に住む山田さんという農家だった。その人は、昭和30年代に10kgで3千500円という値の付くサツマイモ(金時)を作る人だった。当時でも、米よりはるかに高いサツマイモである。山田さんは自分の技術を何の見返りも求めずに誰にでも教えようとする人だった。
基本は「深耕」と「土に返す」こと。山田さんは言った。
「良いイモを作ろうと思うな。良いイモが出来る土を作れ」
エンピ(鍬)で土を2段に起こして反転耕起をした。そして、麦のカラを鋤込んだ。10馬力のトラクタが入るとトラクタ用の鋤を使い、やがてプラウへと変わっていた。
野菜が中心になったのは43年頃から。同時に、浅野さんは無農薬の野菜作りを試すようになっていった。作物によっては使う必要のないものが育つようになってきたからだ。
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