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座談会

「農業経営者とは誰のことか!?」

 最近考えるのは、選択しないで入った人は、やっぱり未だになにかあれば農協の組合長が悪いとかですね、あの理事がいるから駄目だとかですね、政府が悪いとかですね、人は弱いもんですからどっかになすり付けたくなるんですけども、それじゃあ経営者と言えないんじゃないかなということです。そもそもその生きていくうえでの手法として農業を選んだという所でやっぱり農民であるわけです。経営者としての農民である部分と、生活者としての農民である部分というのがあるわけなんですね。

 一歩社会に出た場合、物を売ってるわけですから、人様からお金を頂いているというストーリーがあるわけで、そうすると、社会に出た部分でその人間は少なくても農民では無くなるんだと思うんです。経営者になるんであろうと。そこの分かれ目っていうのは極めてはっきりしているんじゃないのかと思っています。なのに百姓は社会から認められていない。また百姓も、「俺達はこういう風にして、こんな考えで百姓やりながら生きているよ」って知らせる部分が非常に少ないですよね。私も見させて頂きましたが大泉先生も「クローズアップ現代」などのTV番組などに出演されて、農業をアピールして下さっているんですが、一般の人たちには「百姓=経営者」という感覚はないですよね。その中で、農業経営者の部分で、社会の一つの歯車として何かをしなければいけないという思いがあります。

昆:まさに今日はそういうテーマなんです。それでは照沼さんお願いします。

照沼:茨城の東海村から参りました、照沼です。私どもの会社は父が社長をしておりますが、祖父の代までは農業と若干の牛・豚を飼ってた本当に典型的な農家だったです。当時うちの親もどっちかって言うとプータローだったんですが、たまたま本気で農業をやろうかなと思った時に、一生懸命丹精こめた煙草の葉に雹が降って一貫の終わりだったというようなこともあってそれっきり農業から離れ、仲買として市場と農家の間で自分の生きる道を見つけ、今に至っています。現在私はサツマイモと干し芋の問屋なんですが祖父が農業出来なくなって、誰か土地を耕さなきゃいけないということで、農業を始めました。特に10数年くらい前からは、高齢化のために畑が出来なくなった農家の方の、私どもから言えばお客様ですね、農地を借りうけて耕作するようになりました。それがたまりにたまって今では、畑そのものは約55ヘクタール程あります。

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