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新・農業経営者ルポ

梁山泊の生命線を握る男

  • (有)ユニオンファーム 総合企画室 取締役室長 農学博士 杜建明
  • 第46回 2008年04月01日

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 この制度を利用してイタリアへ渡った建明は、中国との格差を目の当たりにして強い衝撃を受けている。

 「果樹の研究をしたかったので園芸学部に籍を置くことにしたのですが、驚いたのは農業技術だけじゃありませんでした。生活全般において、あらゆる事象が新鮮で、大きな驚きがありました。“こんなにも差があるのか”と思いましたからね。今の中国は急速に発展してますが、いまだに発展途上国といってもいいんじゃないでしょうか」

 文革による「20年の後退」がなければ、この差はとうの昔に埋められているべきものだったのかもしれない。

 しかし冷静な研究者だった建明はイタリアでの経験を通じ、謙虚であることと、“航海”の快適さを知ったにちがいない。その年の秋に帰国した彼は、やがて次の航海へ向けての旅支度を始める。それが94年、筑波大学への留学だった。

 だが彼が乗った船の羅針盤が、これほど大きく振られることになろうとは思ってもみなかったのである。

 農業資材会社のアイアグリ社長、玉造和男が中国から来た留学生に関心を惹かれたのは、今から10年以上も前のことになる。たまたま建明の恩師と親交があり、彼が秘めた才能に賭けてみる気になったのだ。

 ユニオンファームの代表取締役、玉造洋祐が当時の父親の気持ちを代弁する。

 「どの分野でも同じですが、流動的に動く社会には将来性があると思うんですね。ところが農業っていうのは、閉鎖的な社会ですよね。でも現状維持のまま新しい農業者を促進していかないと、壊滅寸前のところまで来てる日本の農業に未来はありません。そこで資材会社のアイアグリが農業現場にも一石を投じようとするわけですが、新たに参入するためには、少なくとも理論武装することが必要でした。だけど我われはサラリーマンでしたから、頭では勉強していても、実際にやったことがないから現場がわからない。その点、杜さんは理論の集大成でした。この人だったら、新しい会社の未来を任せられるんじゃないか、父はそう考えたんじゃないでしょうか」

 農業社会は一子相伝である。「動かぬ土地」から「進歩を続ける技術」にいたるまで、すべてが一家のなかで相続されてゆく。しかし玉子は、割らなければオムレツができない。アイアグリが旧態依然たる殻を破って勝負するためには、せめて先輩たちと同じスタートラインに並ぶ必要があった。なにしろ周囲には、その道50年、80年、場合によっては何百年という歴史をもった農家も含まれる。普通に考えれば、すでに結果を出し始めている実力者たちへ対等の闘いを挑むのは、およそ無謀な行為といえた。体力にも限界がある。5年、10年といった時間をかければ、母屋がもたない。そう想い悩んでいた和男の前に、杜建明という男が現れたのだった。

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