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江刺の稲

対立的二言論を超えて

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第37回 1999年02月01日

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先頃、ダイエーの中内功会長兼社長が同社の経営不振を理由に社長の座を降りた。そこに一つの時代の終焉が示されているのではないだろうか。
 先頃、ダイエーの中内功会長兼社長が同社の経営不振を理由に社長の座を降りた。そこに一つの時代の終焉が示されているのではないだろうか。

 中内氏と言えば、流通業界を「生産者(メーカー)の販売窓口」という存在から「消費者利益の代弁者」に変えていくことで、わが国を先進国型消費社会へと導いた担い手であった。当時の中内氏あるいはダイエーをはじめとする新しい形の小売業の出現が、それまでのわが国の生産者中心の生産・消費構造を大きく変えていったのだ。

 それは、終戦の混乱期が終わり、日本人にとっての「消費」の意味が「欠乏」あるいは「空腹」を満たす「生き延びるための消費」から「豊かさを求める消費」へと変化していく過程でもあった。同時にそれは、生産者ではなく消費者が物の生産・消費の構造をリードする消費者中心の社会への変化だった。

 中内氏らによる消費者の意を汲む小売業の活動がきっかけとなった生産・消費構造の変化は、当然のことながらメーカー(生産者)にその自己改革を求めていくこととなった。そして、その改革をなしえ、消費者の要求に応え得るメーカー(生産者)だけが、生き残ってきたのである。

 「にもかかわらず」と言うべきであろう。こうした戦後の生産・消費の構造変化にもかかわらず、農業界においては今に至るまで「生産者の論理」を主張し続けているのである。

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