ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

江刺の稲

日本という「安心村」の囚われ人

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第44回 1999年10月01日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ
イスラエルに行って来た。本誌で募集したツアーにご参加頂いた方々と一緒である。
 イスラエルに行って来た。本誌で募集したツアーにご参加頂いた方々と一緒である。参加者は農業経営者だけでなく、様々な業種の経営者、技術コンサルタント、農業改良普及員など多彩な顔ぶれであり、またそれが今回の旅行を一層楽しいものにした。酒宴ばかりでなく、海抜マイナス400mの死海に浮かんで「農業経営者」を読むというような遊びもたっぷりと楽しんだ。

 9月5日からハイファで開かれた農業展示会“アグリテック99”を参観するというのも目的の一つだったが、皆の関心は農業や技術問題にとどまらなかった。慣れ親しんだ日常から解放され、異境の空間や文化に触れる旅は、日頃あまり意識することもない国家というものや、自らが背負う文化、あるいは我々の生き方、いわば自分自身の足下を改めて見つめさせるものだった。

 ユダヤ人が文字通り、命を懸けて作ってきたイスラエルという国。誰もが明確な国家意識を持ち、自分と家族と国家のために銃を持つことを誇りと考えている人々の国。

 イスラエルの都市は30年か40年前の東京か、20年前の那覇の景色に似ていると僕は思った。戦後というより、最初に住み付いた人々のバラックを取り壊しながら、新しい都市を作り上げている姿である。今の日本なら柵で囲むような、再開発地域の瓦礫の山やゴミ捨て場所が、現代的なビルやホテルのすぐ脇に広がっている。日本の高度成長の時代がそうであったように、成長のエネルギーと混乱とが同居している。

関連記事

powered by weblio