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江刺の稲

農業業界人よ、役割に自負を持て

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第45回 1999年11月01日

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農業は食べる人のためにある。同様に、農業生産技術である農薬も、それは単に農業生産者の利益のためではなく、食べる人のためにこそ研究・開発され販売・利用されるべきものである。また、そのように自らの事業観を持ち職業倫理を語る自負と自覚のある農業経営者や職業人そして企業にこそ未来があるのだと僕は考えている。
 農業は食べる人のためにある。同様に、農業生産技術である農薬も、それは単に農業生産者の利益のためではなく、食べる人のためにこそ研究・開発され販売・利用されるべきものである。また、そのように自らの事業観を持ち職業倫理を語る自負と自覚のある農業経営者や職業人そして企業にこそ未来があるのだと僕は考えている。

 しかし、そんな僕に同感だと言いながらも、寂しそうに、そしていかにも悔しそうに話す農薬業界人がいた。

 「子供が学校で父親が農薬メーカーに勤めていることを話せない」のだと彼は言う。

 無責任なジャーナリズムが農薬に対する不安を煽り、そして子供たちに訳知り顔でその「危険性」を語り、「農薬」メーカーや農薬を使った農業生産を槍玉にあげる教師や大人もいる。

 そんな教師の言葉が、その子が誇らしく語りたいはずの職業人としての父親に対する尊敬を傷付けたのである。教師は父親の職業人としての姿に偏見のフィルターをかけることによって、子供が社会人としての生き方を学ぶ最も身近で確かな教育の手段と、親と子の絆を育てる大事なチャンスをその家族から奪ってしまったとも言えるのだ。誇らしく親の背中を見つめようとしている農家の子供たちも同じ立場に置かれているのではないか。

 すでに「農薬の危険性」あるいは「農薬利用への不安」は、一つの優勢な世論にすらなっている。我々が食べている農産物のほとんどは農薬の利用を前提に供給されているのに。


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