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特集

息子よ!後継者は君じゃなくてもよいのだ

 高校を卒業してすぐこの道に入って8年が経ちますが、圃場によって様々な条件があり、まだまだ勉強だと感じています。施肥管理の技術等、父から教えられる事はたくさんあります。

 現在、地球温暖化等の環境問題が声高に叫ばれていますが、農業の分野においてもそうした声を無視することは出来ないと考えます。機械を操るのが好きだという理由だけで良かった父の様な時代は終わり、代替の技術を検討すべき時期に来ていると感じています。

 部品取りのために請負先で眠っている機械を譲ってもらうことも多く、これからは整備工場の設備を生かしての中古機械の販売についても、チャンスがあれば取り組んでみたいと思っています。


高柳和雄さん(26歳)

〒311-1722 茨城県行方郡北浦町次木
TEL.0291(35)2466
畑作作業を中心とした作業請負


【時代の先を読み、道を切り拓く父の姿に学ぶ】

 私は地元の工業高校を卒業後、東京の電機メーカーに就職しましたが、仕事を覚えるにつれ、毎日同じような仕事を自分のためではなく会社のために繰り返しやっているように感じ、やる気を失っていました。そんな時、幼少時代を過ごした故郷の小林に帰り、おおらかな自然と触れあった時、父の仕事である農業をやりたい気持ちがふつふつと湧き上がり、約8年間勤めた会社を辞める決心がつきました。

 私の住む地域は標高約600メートルの霧島山系の麓にあり、戦後、軍馬の生産地だったところを開拓して作り上げられました。私の家は祖父の代に入植しましたが、祖父は大工であまり農作業には従事せず、そのお弟子さんにあたる人が私の家の土地を耕し、父に技術を伝えてくれたとのことです。当時は冷涼な気候のため、陸稲やイモが主な作目でした。私が幼少の頃の父は、朝早くから暗くなるまで働きづめで、私はそんな父の辛そうな姿を見るのが嫌でした。

 しかし、現状に安住し変化を望まない保守的な風土の中で、父はいちはやく低迷する陸稲やイモに見切りを付け、野菜作に切り替える勇気と、時代を先取りする先見の明を持っていたと思います。父のそんな姿勢は、就農して四年半の私の経営にも大きな影響を与えています。経験の浅い私が専門書等から得た知識で、プラウ耕の後にバーチカルハローをかけ、ニンジンを播種しようと提案した時も、父は反対しませんでした。

 私は父から技術や経営について教えてもらうことは特にありませんが、話をしなくても以心伝心で通じることは多く、現役で頑張る父の姿を横目で見て、良いところは盗んでいます。

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