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特集

息子よ!後継者は君じゃなくてもよいのだ

 将来的には市場への全量出荷を目指しているのですが、市場価格の変動に左右されない経営基盤を築くためにも契約栽培を検討しています。また、今回の有機物循環農法研究会で知り合った本田和寛さんのマンゴーのような観光地の特作栽培にもチャレンジしたいと考えています。


小杉芳弘さん(31歳)

〒886-0005 宮崎県小林市大字南西方8421
TEL.0984(27)0005
キャベツ5ヘクタール、ニンジン5ヘクタール、スイートコーン1.5ヘクタール、カボチャ0.1ヘクタール(試験栽培)


【父の反対を押し切り、農業の明日を信じて】

「農業なんかやめて他に就職しろ!」 幼い頃から両親の農業する姿を見て育ち、自分も農業者になろうと心に決めていた私を待っていたのは、父のこんな一言でした。

 今にして思えば、当時は減反政策という内圧とウルグアイラウンド交渉という外圧が強まっていた時期であり、父は日本農業の未来を悲観して、わが子を辛い目に会わせたくないといった「親心」から私の就農に反対したのだと思います。

 しかし私は、目の前の現実は厳しくても、来るべき時代を、そして日本だけでなく世界全体の問題として捉えた場合、必ず農業が必要とされる時代が来ると考え、父の反対を押し切って宮城県農業実践大学校に進み、技術と経営について学びました。卒業後は古川農業試験場の育種部に勤務し、新品種の育成や栽培技術の研究等、先端技術に触れる機会を得ました。

 そんなある日、見学者用に配布している冊子を何気なくめくっていたところ、載っていた一枚の絵に惹き付けられました。それは天保の大飢饉で骨と皮だけになりながら来作のための籾俵を守っている百姓の姿を描いたものでした。例え自分の身が滅びようとも次の世代のための糧を残そうとする姿に感銘しました。自分のレゾンデートルを見つけたと思いました。そして私は、「東北13号」(後のひとめぼれ)の種を退職記念にいただき、就農したのです。

 以来、化学農薬と肥料の使用を極力減らしたお米を消費者に直接宅配したり、作業受託と販売のために農業法人を立ち上げたり、新しい可能性を求めて活動してきました。本来農業者のために働くべき農業団体が古い考えに囚われて、農業経営者を育てる芽を摘んでいるような気がしてなりません。そんな悩みを抱える私の相談相手になってくれるのが、かつて就農に反対し、現在は上司である父です。今では本音をぶつけあえるいい関係になっています。

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