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読み切り

後継者のいない米作を近代的産業に!

 日本の水田は欧米の水稲しか作れない塩類集積の水田と異なり、野菜等の転作や裏作をすれば畑より良質のものが多収できます。

 地主組合に加入した人は、3俵の地代を得て、赤字の米作がなくなり、園芸や農外所得を充実するでしょう。自作する者の耕作地は集落に近いところに集めるべきです。

 大区画圃場の傍らの小区画にドイツのクラインガルテンや日本の市民農園のような農業をやりたい非農家のため、市町村の協力を得て菜園地区を設けると共に、水辺自然公園の用地も増歩分を活用して共同利用施設用地と共に土地改良の換地計画の中に入れましょう。

 消滅が近い日本の米作の再生をかけ、関係者に最も有利な農業経営と土地改良の計画に反対する地権者が10%以上もいる地区ではリーダー(準備会)は信頼されていないか力量不足と考え、地区の総会を開いて進退をはかるべきだと思います。


農業革命への軌跡

 私は昭和20年10月、復員後間もなく角来農事研究会を創り、会長になりました。

 昭和23年に東大の新沢嘉芽統先生のご指導により、角来工区(32ヘクタール)で10アール区画の土地改良に着手してから50年間、印旛沼土地改良区の区域内の新規事業(合計約3,000ヘクタール)に携わってきました。

 昭和48年に世界農業視察旅行会を創ってから56回の海外視察をしましたが、先進国はどこでも直播きで、優れた農場は経営責任の明確な農場制農業(企業方式)であり、協業経営はありません。最初のカリフォルニアでは、平均耕作面積130ヘクタールを飛行機で、乾籾を湛水散播で、10アールの全作業時間は1時間以内で、10アール当たり700kg以上も収穫し、肥料は土壌分析の結果窒素だけで、藁は全部焼却し、堆肥は開墾以来64年間も入れないのに毎年収量が増加しているとの説明を聞いて、日本の農業の常識と全く異なるのに驚きました。これには毎年収穫代金の一部を米作団体で集め、農科大学や試験場に研究費として寄付し、農家と研究機関が一体となって米作の発展に取り組んだ成果でした。

 昭和54年、角来工区(24ヘクタール)を沼の再開発のモデルにしようと思い、浚渫土17.5万立法メートルをY-P4.5mの高さに客土し、小用排水路をなくし、30アール区画に再整備し、暗渠排水を行い、耕作者64名中58名で地主組合を作り、利用権を農事組合法人に集め、清宮純さんが耕作してきました。

 昭和59年、井手一浩博士のご指導で、角来工区2.5ヘクタールの乾田直播を始めてから逐次畦畔を取り払い、平均1ヘクタール以上の大区画にしました。


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