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特集

改めて『尊農開国』

【3 自然と農法の尊重】

 自己主張は日本の食生活についていえば、「うま味」の追求である。河川は内陸からいろいろのものを溶かし込んでくるから、河川の水が直接流れ込む大陸棚は深海に比べ栄養が豊かである。プランクトンも大量に発生し、魚もここにたくさん集まってくる。日本列島は多くの大小河川に恵まれ、それだけに国土を囲む海の単位面積当たりのプランクトンも世界平均の2倍はある。

 この栄養豊かな海に育つ魚は普通の海の魚より味が優れており、そこから素材そのものの「うま味」を重視する日本人特有の食生活ができあがったのだろう。

「うま味」は魚だけでなく、すべての食品原料に内在している日本的要素である。農産物の「うま味」も自然の影響を強く受けている。日照時間、湿度、雨量、土壌、独特の農法が農産物の「うま味」を形成する。

「質志向型ライフ・スタイル」は必ずしも高品質のものだけを追い求めるのではない。生活の局面に応じて適切な品種を選択するから、低品質だが便利なもの、低価格のゆえに生活費を節約できるものなどもこのライフ・スタイルには必要である。

 そうすれば、どんな国、どんな地域にも独特の商品は存在するはずで、それを交換することで各国は生活を多様化させることができる。そればかりではなく、この品質格差を認めあえば、どんな国、どんな地域からもすべての産業はなくならない。

 これまでの国際分業論は各国を特定産業に特化して、それを連結させて一つの共同社会を国際的に形成しようとする「垂直分業」に基礎をおいていた。ある国は農業だけをやり、他の国は軽工業をやる。別の国は重化学工業に専門化し、いま一つの国はソフト産業に特化する、といった具合である。

 しかし、これでは多様化する生活水準に追いつかないばかりでなく、一国の経済がバランスのとれた総合的な産業構造をもたないため、その社会の人間形成にも歪みが発生する。産業を極端に特化させることで、その国から農業がなくなれば、環境保全もおぼつかない。人類を幸福にする社会は形成されない。

 これに対して、各国がその特異性に着目して同じ産業間でも商品を交換しあえば、ほとんどすべての産業が残り、垂直分業のもつ欠陥は修正できる。これは国際経済の上でいう「水平分業」である。同じ産業内部での垂直的統合によって国際分業が行われることはあってもよい。しかし、特定産業以外がすべて否定されるなら、その社会は不健全である。

 水平分業こそこれからの国際社会のあり方である。それでこそ各国は特徴をもちながら、バランスのとれた円満な社会を創造していくことができる。それには各国はまず自国を地球規模でみつめてみる必要がある。そこではじめて自己主張が可能になるし、同時に相手の特色を認めることができる。

 そこから、貿易の可能性が発見されるわけだが、この「交換」を通して「市場原理」が働く。「市場原理」の作用は地球規模での「資源の適正配分」に繋がるのである。

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