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特集

改めて『尊農開国』

田牧氏に見る開国への先鞭

農業ジャーナリスト 牧瀬和彦


【どこまで本腰だったのか】

 私的解釈も含めて、ある人物のことを評してみる。

 10年以上前のことだ。

 ある農業県の、元気な稲作農家グループの戦略作戦会議にオブザーバーで呼ばれた時の話だ。

 当時は、まだ食管制度は斯くとしてあり、コメを一粒たりとも輸入しないという政府の態度に、内外から多様な議論が沸き上がってきて「何かが変わりそうな」「環境が大きく変わることが予感される」そんな時代であった。

 先進的な稲作農家を自負している彼らとの議論は、自分たちのコメやコメ作り経営を、厳しくなりそうな新時代にどのように対応すべきかを模索するという前向きのものであり、会場であった温泉街の宿で、夜が更けるのも気にとめず、議論は白熱していった。

「地域で共同ブランドにしたらどうなのか?」「地域のコメのブランドを自主流通米として知名度を上げていこう」「自分たちの美味いコメを世間の消費者にもっと知らせよう」等々、鼻息も荒い物だった。

 そんな白熱する彼らの顔を見比べて、私はいくつかの不安を覚えていた。「彼らは本気なのだろうか?」「いや、本気であろう。しかし、本腰で時代の流れを意識して自立に向けた自分たちの行動を考えているのだろうか?」

 一夜が明け、遅くまで続いた戦略会議の余韻を残しながらその旅館の朝食を迎えた。

 温泉街のそれほど高級ではない旅館の朝食のご飯は、とてもひどい品質のものであった。県外から観光に来た方々が米処であるこの地で、このご飯を味わったらどんなに落胆するだろう…という心配するレベルのご飯であった。

 たまたま、昨夜、一番気炎を吐いていたメンバーが隣の席に座った。少しいたずら心で彼に聞いてみた。「このご飯、どうですかぁ?美味しいですか?」ご飯を口にした彼は「俺のコメはもっと美味いぞ」と一言。

 私はこの一言を聞いて落胆した。昨夜の議論の流れからすれば「こんなご飯は地元のハジだ」「俺の作ったコメを使ってもらうように働きかけよう」とでも言ってくれるのかと思っていたからだ。(それでも彼はそのご飯をお代わりして平らげていた)

 やはり、彼らの時代観は、それほど切迫してはいなかったのであろう。

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