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【村井信仁の作物別・畑作野菜経営機械化講座】
普通型汎用コンバイン
- 農学博士 村井信仁
- 第24回 2000年05月01日
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●普通型汎用コンバイン開発の歴史
普通型コンバインの導入は昭和30年代から検討されているが、一般化するのは昭和40年代に入ってからである。その理由は輸入のコンバインはあまりにも高価であったことと、手刈りに比較すると収穫損失が問題視されたためである。
手刈りの収穫損失が0と言うことはないが、きちんとした調査の成績はなく、一応0とされている。これに対してコンバインは刈取り損失、脱穀損失、選別損失等きちんと調査されるので、損失量は数字として表れる。3~5%の数字は多過ぎるとされた。
当時、わが国は高度成長期に入っており、農村には労働力が不足していた。わが国独自の自脱型コンバインが開発されたが、作業能率に満足できないとして、輸入の大型コンバインが少しずつ定着するようになった。同時に各部の構造に改良が加えられて性能が向上し、収穫損失は水稲、小麦共に3%を越えるようなことはなくなった。
自脱型コンバインにも改良が加えられ、次第に大型化し、水田地帯に普及して一貫機械化体系が成立する。皮肉なもので、昭和50年代に入ると稲作転換が強化され、水稲作地帯に小麦やソバ、大豆等が入り始めた。自脱型コンバインは水稲や小麦の収穫はできても、ソバや大豆の収穫はできないので、これをどうするかが課題になった。
輸入の普通型コンバインで収穫すればよいとされたが、ソバはともかくとして、わが国の大豆は殆どが裂莢易の品種であり、刈取り損失が多くて無理であった。
刈取ってから投込むことで、コンバインを脱穀機として利用する方法はどうかと検討されたが、これも無理であった。脱穀性能を高めるために、脱穀シリンダをラスプバーからクリンパに変えねばならず、この交換が容易ではなかったからである。
ここで面倒とばかり、豆類専用のコンバインが開発されるべきとされた。ビーンスペシャルコンバインが形を整えたが、あまり市場に出回ることはなかった。専用では経費負担が大きいとされたのである。大豆から小豆や菜種など豆類全般に利用されれば特に問題になるものではないが、稲転地帯では大豆しか作付けしないので、その面では贅沢な機械だったのである。
しかし、後にこのビーンスペシャルコンバインの開発が汎用コンバインの開発に弾みをつけることになった。わが国でも大豆のコンバイン収穫が可能である事を立証したからである。こうして、昭和60年に入ると各社が一斉に汎用コンバインの開発に着手した。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
村井信仁の作物別・畑作野菜経営機械化講座
北海道での畑作野菜経営成立の背景には、農業機械化による生産技術の革新があった。その機械化が、大規模な野菜栽培を農業の原理原則に従う技術集約へと向かわせる可能性を与えた。そこで、北海道農業機械化の中心的な指導者として、開発と普及の両面からその役割を果してきた村井信仁氏に、畑作野菜の機械化経営技術をご解説いただく。その解説は、これから府県での畑作野菜経営を発展させようと考えている経営者にとって多くの示唆を与えるだろう。一方、北海道の経営者にとっては、農業経営の原理原則に立ち返った技術の再確認と新たな可能性を示すことになるはずだ。(編集部)
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