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農業経営者ルポ「この人この経営」

究極のサラダホウレンソウを目指して

廃業寸前の4年目ようやく経営が軌道に乗った


 いわゆるキャリア組だった辻さんが、役所勤めを辞めて阿蘇に入ったのは9年前の4月5日。退職から3日後のことだった。翌6日には、なな子夫人と二人で畑に出てトマト栽培を始めた。農学部出身ではあるが栽培についてはズブの素人、「今から考えれば、うまくいくわけがない」と苦笑する。

 案の上、1年目は惨憺たる結果に終わった。就農前は密かに頼りにしていた営農指導も期待はずれだった。「彼らは専門家だと思っていたのは私の勘違い。仕事の一つとして指導をしているだけで、野菜をつくって生活しているわけじゃない。あらためて自分たちが土地なし、技術なし、金力(筋力)なしの三ナシ夫婦だということを痛感しました。そして、このことを前提にして何ができるかを一から考えなおしたんです」

 67アールの限られた土地で、いかに二人しかいない労働力の作業負担を平準化させながら、なおかつ技術を向上させていくか。また体力的な限界をカバーしながら経営効率を高め、運転資金を確保していくか。トマトに泣いた1年目の冬。そんな課題を整理していると、ある園芸書にレタスの定置移植栽培が紹介されていた。これを周年栽培が可能なホウレンソウに応用できないか、と辻さんは考えた。前例はないが理論上は可能なことがわかると、さっそくこの前代未聞のアイデアを実行に移した。まったく元役人とは思えないチャレンジ精神とバイタリティだ。

「これを始めた頃、農協の営農指導員と普及所の園芸係長からバカにされましたよ。こんなやり方で作れるならラクでいいって、頭ごなしに否定されましたね」

 ソイルブロックに苗を置いただけの定植は、たしかに筆者も素人ながら、こんなので大丈夫?と思う。ところが2日目にはブロックの脇から根が下の土に向かって伸びてくるというから摩訶不思議。しかしこれも、培養土の配合に関する試行錯誤の末に手にした成果なのである。作業が簡単だからこそ量をこなすことができるし、非常に活着が早いので回転率も高まる。その結果、直播ならどんなにがんばっても年間数回転が限界のところを、13回転という周年短期栽培を可能にしたのだ。

 結果だけを見ると簡単にしか思えない。しかし始める前は誰が見ても無理だろうと思った。その間にある溝を埋めてきたのは、人知れぬ努力の積み重ね以外の何物でもない。

「栽培はできたけど、ふつうのホウレンソウでは採算が取れないのでサラダホウレンソウに目をつけました。実際に作って生協に持っていったら好反応がかえってきた。ただしサラダは需要が高まる夏にほしいと言われ、さっそく夏に栽培できる商品の開発を始めました」

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