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大泉一貫の農業経営者論

新基本法に見る新しい価値観と農政理念

我が国の農政には理念がないと言われる。がそれは農政に限ったことではなく、政治のありようから人々の行動様式に至るまで我が国では理念との断絶が言われている。
1 理念と疎遠だった日本


 我が国の農政には理念がないと言われる。がそれは農政に限ったことではなく、政治のありようから人々の行動様式に至るまで我が国では理念との断絶が言われている。我が国は理念とは疎遠な国家なのだろうか?

 国際的に見れば、レーガノミックスやサッチャリズムなどの新自由主義的風潮が吹き荒れたのが21世紀末の20年間であり、そこには一つの行動基準があった。政治は幾つかある基準の選択としてあるべきだろう。


2 調整型の農政の登場


 たしかにこれまでの農政はその都度生じる現実への対応を旨とする「調整型の農政」だった。特に70年以降は「調整的性格」を強くしていった。

 この時期は、農業問題の質がそれまでの食糧(不足)問題から構造問題へと転換するにも関わらず、構造改革を第一義とした「61年農業基本法」理念の挫折が誰の目にも明らかになり、農地管理事業団構想も国会で挫折していく中で、強烈な農業ビジョンに基づいた農政遂行の現実性(リアリティ)が急速に衰退していく時期であった。

 70年には「総合農政」という党・政治主導の農政が登場するが、この農政の目指した方向は、自民党の性格をそのまま表したような「総合性」にあり、党・政治が業界と協調しつつ行う協調型あるいは調整型農政であった。

 党・政治が主導する農政といえば、そこには一見一貫した「理念」が示されている様に思われがちだが、実際にはそれとは逆のオポチュニストによる「その場農政」が展開したのである。行政担当者の行動様式は、勢い党あるいは業界との間を如何に調整し現実的な行政を遂行するかに腐心し、個々の関連法律と通達に拠った「調整型行政」を展開することになる。

 調整型農政の価値基準は「現実的」であることにあるのだが、「現実的」であるとする根拠は様々な人々の調整可能性にあった。多くの人々の意見を聞き、それらを調整し仕上げていくという行政手法には「民主的」とする評価を当てることもできなくはない。UR交渉など、重要局面での理念のなさによる調整力の欠如が際だってきたのが近年の動向であった。

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