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江刺の稲

頑張れ、元気まんまん塾

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第56回 2000年10月01日

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本稿は、対向頁に掲載されている村山日南子さんの原稿に触発されて書いた。
 本稿は、対向頁に掲載されている村山日南子さんの原稿に触発されて書いた。

 村山さんを東海村の「げんきまんまん塾」主催のシンポジウム「農業と環境・エネルギーの共生」に誘い、同行したのは筆者である。そして、主催者の中心人物である照沼勝浩さんのこと、彼らの取り組みを紹介し、そして後日談として知り合いのジャーナリストから受け取ったFAXを村山さんに転送したのも筆者だ。それは、予定されていたイベントへの補助金取り消しを報じる地方紙のコピーだった。

 筆者は村山さんの意見に基本的に同感である。とりわけ、東海村が受けている“風評被害”について村山さんが書く「原発に触れることをタブーとし、何かあった時には黙して語らず、ひたすら『風評被害』の通り過ぎるのを待ち、補助金をもらってやり過ごしていくというこれまでの姿勢そのものが『風評被害』を生んできた…」という“風評被害の当事者責任”を問う視点は、問題の本質をついている。そして、それは被害者という立場への同情に甘んじることなく、東海村に次世代に残すべき誇りある未来を創り出して行こうとする照沼勝浩さんたち「げんきまんまん塾」を立ち上げた人々の思いでもあると思う。

 そして、村山さんが書く通り、その背景にあるものが、相変わらずの生産者主体の論理であり、迅速的確な情報公開への意思の欠如である、との指摘もまったく同感である。

 しかし、筆者はその後に彼らの運動に対する横槍が入ったことより、「風評問題や原子力問題の被害者」としてではなく「東海村の農業者や住民の誇り」において語ろうと呼びかける彼らの姿の中に、骨太で新しい時代の精神を感じさせる勇気と自信を見た思いがする、と書いておきたい。

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