ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

「過剰施肥」脱却のススメ

「植物の生産量は最も少量に存在する無機成分により支配される」。これは1843年にドイツの化学者リービッヒが提唱した「最小率の法則」である。
 「植物の生産量は最も少量に存在する無機成分により支配される」。これは1843年にドイツの化学者リービッヒが提唱した「最小率の法則」である。

 「作物が育つのに必要最小限の肥料と水を与えれば、作物の生理障害や圃場の塩類集積などの問題は解決され、最大の生産が可能となる」。これは養液土耕法の基本的な考え方である。

 どちらも植物の健康と最大の生産を目指していることには変わりはないが、前者は「不足」を克服するための、後者は「過剰」を克服するための時代の知恵である。

 現代日本の農業は、明確に「過剰」の時代にある。「何を増やすか」ではなく「何を減らすか」と考えることによって、植物の健康と最大の生産が可能となる時代なのだ。


土壌病害・生理障害の源流
生理障害が表れたら、要素欠乏・過剰だけでなく、その根本的原因を問え!



「土作り」神話の背景

 本誌が何度も取り上げている「施肥過剰」による富栄養化の問題は、多くの場合、各農業経営者の経営観に端を発している。「入れる」ことで「作がよくなる」という観念は、「入れれる」ものが少なく、高価で手に入らなかった、言わば、飢えている時代の観念である。高度経済成長の後、日本が飽食の時代を迎え、成人病や糖尿病が問題となっているのと同じように、化成肥料が簡単に手に入るようになって、日本の農業は「過剰施肥」による障害の時代を迎えている。

 過剰施肥が指摘され始めたのは昭和50年代ごろからであり、農業の歴史から考えるとごく最近のことである。「日本の気候や土壌、使用してきた肥料、社会情勢という点から考えると、過剰施肥にならざるを得なかったのです」と東京農業大学土壌学研究室の後藤逸男教授は言う。化学肥料が施肥体系の中心になっていったこと、日本の土は保肥力が小さく、気候的に雨が多い。そういったことが過剰施肥になる背景としてあった。

 日本の土壌は、酸性が強く、石灰苦土カリが少ない。ECも小さい。リン酸が効かない。そういった生産性の低い土である。現在集約性の高い大産地と呼ばれているところの多くは、元々開拓地であった。開拓地は、非常に痩せている土地であるからこそ原野として昭和の時代まで残っていたと言える。そこが開墾され、土壌改良され、昭和30、40年代に野菜産地へと変貌を遂げた。そういった開墾地では、昭和20~25年頃に大規模な土壌改良が行われている。石灰を施用し酸性改善を行い、リン酸を入れ、堆肥も入れ、「土作り」が行われた。そうやっていって、始めてまともな野菜ができるようになった。当時は入れれば入れるほど作はよくできた。特に大産地では、価格の高い有機質肥料などだれも使おうとはしなかった。その代わりに、雨が降ると激しく溶脱する、安くて速効性の高い窒素肥料が使われた。そういった肥料はある程度多肥をしないと効率よく野菜に吸収されない。化成肥料には窒素と共にリン酸とカリが配合されている。そうして窒素が多肥されることで、リン酸とカリの多肥につながり、リン酸過剰、カリ過剰も起こっていった。

 過剰施肥と言うと化成肥料のみが槍玉に上がることが多いが、家畜糞堆肥の過剰施用も同様の問題を起こしている。地域によっては、過剰施肥の第一の原因が家畜糞堆肥にあるというところもある。

 そんな背景を背負って日本の畑の土壌は「過剰」の時代を迎えることとなった。この「入れればできる」という固定概念が生産者たちの頭にこびりつき、それが場合によっては2代目、3代目に引き継がれて今に至っている。この固定概念のことを後藤教授は「土作り神話」と呼んでいた。

関連記事

powered by weblio