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江刺の稲

誰が日本の米を守ってきたのか?

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第57回 2000年11月01日

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 翻って農業界はどうか。この間の米生産・販売の当事者たる多くの農民、農林省や農協などの農業関係者たちが、米の需要拡大に対して果たしてきたこととは何だろうか。せいぜい能天気な『米消費拡大運動』。それは、炊飯器業界の人々がお客様に美味しいご飯を食べていただくために続けてきた、営業者としての真摯な努力と情熱に比べて、どうであったか。米価が急落していく今だからこそ、うろたえず勇気を持って米の消費拡大、本物のマーケティングに力を入れるべき時なのではないか。

 米価の値下がりは今後さらに加速するだろう。それは外国産米の参入によってではない。原因は供給過剰であり、農業界の怠慢と国の保護に慣れ、それに依存し続けた者の弱さのためである。作るだけなら誰にでも出来、何処にでも在る米だからなのだ。

 もし、これからも相も変らず政治家やお上が助けてくれるだろうと考える農業経営者がいるのなら、愚かとしか言いようが無い。農家や農業関係者にとって米作りは職業であり、営業であり商売ではないのか。農業はもう特別ではないのである。

 農業の世界でも自ら生き抜こうとする者、顧客に必要とされ選ばれていこうと努力する者なら、素晴らしい顧客がおり、また農業の外部にこそ農業者を励ましながらともに食べる人のために働こうとする沢山の同伴者たちが待っているのだ。そして、農業は農民のためにではなく、食べる人のために在るのだ。

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