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土壌別経営診断うちの土ではどう作る?

静岡県富士市・荻田均さんの場合

コメ需要の減少と共に、わが国の農業にとり水田地帯の畑地化はますます重要な課題となっている。補助金目当ての「転作」ではなく、生産力の高い圃場作りを目指した時、「客土」は経営的な選択の一つと言える。酸性の強い泥炭水田地に客土し、半生をかけて土を作り梨栽培に取り組む静岡県富士市・萩田均さんの場合
関 こちらの梨園は泥炭地の水田地帯にぽっかりとありますが、水の問題ではご苦労されているのではないでしょうか。

荻田 この辺は浮島沼と呼ばれていました。泥炭地で、一度雨が降ると本当に沼のようになるところだったのです。ですので、大型機械が入るような状況ではなかった。当時は、稲作の大型機械による一貫体系ということが言われていましたが、この辺りはそういったことはありませんでしたね。バインダーで刈って掛干して、取り込んでから家で脱穀していました。もともと沼地だったせいもあり、畦をしっかり作らなくとも水には困らなかったですね。

関 水が漏れないわけですね。

荻田 そうです。水を抜く方が困ったくらいでした。ですので、畦塗りや畦の管理はずさんでした。秋になっても、田圃だか畦だか分からないくらい。ただ田圃の境にあるというだけ。私が農業をやり始めたときは、「わっか」という田下駄のようなものを履いて歩いたものです。一度雨が降ると秋でもそんな状態になりました。圃場整備事業が行われた時は実は整備は二の次で、いかにして水はけを良くするかが一番の課題でした。

関 それを圃場整備で行ったのですね。

荻田 そうです。ここは海抜5mしかないので、満潮になると潮が入ってくる。それを防ぐには川を大きくして、堰をして潮を吐かせなければならなかったのです。川を広げるにも、当時は農地も値が上がってきたし、行政もお金を出し切れなかったので、それをどうするかということで、圃場整備に絡めてやればということでやったのです。

関 圃場整備では区画整理だけでなくて、暗渠排水も。

荻田:はい。当時は減反政策もあったので、畑にもしなくてはということでやったのです。普通の水田ならば畑になるのですが、そういう状態でしたので、そのままでは畑にならない。田畑輪換は無理でした。ですので、畑は畑として盛り上げてこしらえたのです。畑にするにも、野菜だとなかなか根が付かない。それは、この近くを流れている須津川という川が、今では海へと流れ込んでいますが、昔は沼へ流れ込んでいた川で、よく氾濫したからです。一度氾濫すると石が流れ込んで来るので野菜は難しい。それでこの辺では長十郎などの梨が作られるようになったのです。梨ならば多少石があっても大丈夫ですから。

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