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江刺の稲

「売らず」して「売れぬ」と言うな

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第58回 2000年12月01日

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米や野菜の市況が下がるのを暗い顔をして眺めている男たちがいる反面で、全国の農村から女たちの弾んだ声が聞こえてくる。女たちのこの元気さは何なのだろうか。
 米や野菜の市況が下がるのを暗い顔をして眺めている男たちがいる反面で、全国の農村から女たちの弾んだ声が聞こえてくる。女たちのこの元気さは何なのだろうか。

 ファーマーズマーケット、農家の店、日曜市、直売所、行商、庭先販売。呼び名は様々であるが、そこには自ら顧客と出会い『売ること』あるいは『商売』に取り組むことへの意欲があふれている。それは地場流通の活性化という以上に農業界の意識改革を促すものになっていくのではないか。

 その中心になっているのは女性だ。そして、行政や農協のリードというより販売者たちの自由な競争や健康な商売への熱意こそが販売所を活気付けている。チャンスは誰にも平等に与えられるが、結果は平等ではない。顧客に選ばれる競争、顧客との出会いを通して商売する喜びに気付いていく。

 農産物価格は低下傾向を示し、海外からの農産物輸入も増え、産地間の競争も激しくなっている。これだけの過剰供給があるのだから価格が下がるのも当然だろう。でも、自ら顧客と出会いその反応を体で体験しているファーマーズマーケットの女性たちは、はたして市況の低迷や外国産野菜の輸入をぼやくだろうか。

 農家を取材してきて、ある世代以上の男たちの多くが「商売」あるいは「商人」という言葉にある種の悪意や軽蔑を込めて使っているのを感じてきた。いまだに士農工商の論理にしばられ農本主義の論理に支配され続けているのだ。

 農業界や男たちの硬直した論理、見栄や面子にこだわりながら居場所を失う焦りにうろたえている間に、販売所に立つ女たちは自ら売ること、お客さん(食べる人)と出会うことを通して男たちを乗り越えていっているのだと思う。

 ただ気位が高いだけや自尊心だけの傲慢な精神と、誇り高い職業人であることとは違う。彼女等はそんなこだわりすらも必要とはしていないが、農業界の男たちもそろそろ“腰を低くして背筋をピンと伸ばした”商売人のプライドに気付くべきではないか。

 どこの世界にも悪意の人間はいる。一度や二度であればお客を騙すことはできるかもしれない。でも、やがてその商人は市場から淘汰されていくのだ。収奪ではなく土に戻し続けることを厭わぬ農民が、種を播けば作物が勝手に育つ土を造り、それゆえに豊かになるごとく、お客に戻し続ける商人が選ばれて残っていく。売れない苦しみを知ればこそ、お客のありがたさが解る。彼女等はそれを知った。

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