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【女だからの経営論】
渡辺久子さん(愛知県・渥美町)
- 三好かやの
- 第51回 2001年05月01日
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生でも食えるチンゲンサイ
愛知県・渥美町は施設栽培のさかんな町だ。取材に訪れた3月初旬、高台に登ると、眼下にキャベツ畑とハウスの屋根がどこまでも連なっているのが見えた。ここで最近、本格的に農業を始めたという渡辺久子さんと、ハウスの前で待ち合わせた。
案内してくれたのは小久保秀夫さん。愛知県を中心に微生物農法の指導に当たっている人物だ。ハウスの主はまだ来ていないのに、彼はずんずん中へ入って、ハサミでチンゲンサイを1株切り取り、その葉を一枚差し出した。
「このまま根元の白い部分を食べてみなさい」
チンゲンサイを生で食べたのは、初めてである。さぞ青臭かろうと思って口に入れると、意外なことに生でもサッパリ食べられた。
「よそのチンゲンサイは、こうはいかないよ」
と、小久保さん(試しに東京に帰ってスーパーで売っていたチングンサイで同じように生かじりしてみたが、やはり青臭さが口に残った)。
するとようやく渡辺さんが姿を現しか。スッキリ刈り込んだショートヘア。スラリと伸びた背筋。凛とした「まっすぐな」空気が漂ってくる、そんな存在感のある女性だ。
突然逝った弟のハウスを「なんとなく」引き継いで…
久子さんが農業を始めるきっかけはあまりにも突然訪れた。チンゲンサイのハウスは、元は弟はの幸祐さんがスプレーギクを栽培していた場所である。
97年の夏、「ちょっと横になる」といって昼寝に入った幸祐さんが、そのまま亡くなってしまった。眠ったまま脳の血管が切れていたのだという。誰にも予測のつかない突然死だった。
「ハウスに花が入っていたんで、私が勤めながら出荷しました」
当時久子さんは、カーディーラーに勤務していたので、半年間仕事を続けながら出荷を続けた。そして700坪ものハウスが残された。
幸祐さんは独身で、子どももなかったし、父親は病気がち。農作業を手伝っていた母に、すべてを任せるわけにはいかない。引き継げるのは独身で会社勤めをしながら、出荷を手伝っていた久子さんしかいない。
身内の間では、一体誰が引き継ぐのかはっきり問いただすことも、久子さん自身が「私がやります!」と、大々的に宣言することもなかったという。
「60歳を過ぎた母は、機械も使えないし、車にも乗れない。じゃあ私がやるしかないかなあ…なんとなく、成り行きですね」
こんな大事なことを「なんとなく」決めてしまっていいのだろうか?
「農家の跡って、そうやって継いでいくもんだよ」
小久保さんがそうつぶやいた。
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