記事閲覧
【江刺の稲】
わが友としての農業経営者に
- 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
- 第63回 2001年05月01日
- この記事をPDFで読む
今を暗く語る君がいる。
もし、道を見出せないような闇の中にいたとしても、君は人々の語る後ろ向きの流行り言葉に流されるべきではない。
君が経営者たること、誇りある職業人たることを自負し、男として、女として、夫、妻、父、母として、家族や仲間への責務を自覚する者であるなら。
今が安穏に過ごせる時代でないことは事実である。でも、今までの君がたまさかの幸運に恵まれていただけに過ぎないとは考えられないか。これまでの君が、小さな村(あるいは会社や家族)の中だけで通用するお山の大将を演じてきただけであり、その砂山が歴史の胎動で崩れつつあることに怯え、身をすくめているだけではないのか。餓える怖れのない社会にいることで、我々は生きることへの根本的な問いを見失っているのではないか。自らの意思とはかかわりなく誰かに道を与えられ、主体のない人生を消費し、それに浮かれて来ただけではないのか。
困難に見える現在こそが、正味の人生なのである。
今は、臥薪嘗胆して淡々と経営や生活の防衛に専念する者もいるだろう。時には挫けることも、気鬱の中で悶々とする日もある。また、撤退の道を選ぶ者もいるかもしれない。
よいではないか。それも一つの勇気ある選択なのである。疲れたのなら休めばよいのだ。人生を諦めることさえなければ。
でも、環境の厳しさを嘆き、時代の暗さに怯えた言葉を語って何が得られるのだ。被害者意識から何が生れると言うのだ。君がそう振舞うことは、未来を託す子供たちや後に続く者たちの精神を萎えさせるばかりでなく、彼らの人生を徒労感から始めさせる大きな罪を犯すことでもあるのだと思え。
もし、道を見出せないような闇の中にいたとしても、君は人々の語る後ろ向きの流行り言葉に流されるべきではない。
君が経営者たること、誇りある職業人たることを自負し、男として、女として、夫、妻、父、母として、家族や仲間への責務を自覚する者であるなら。
今が安穏に過ごせる時代でないことは事実である。でも、今までの君がたまさかの幸運に恵まれていただけに過ぎないとは考えられないか。これまでの君が、小さな村(あるいは会社や家族)の中だけで通用するお山の大将を演じてきただけであり、その砂山が歴史の胎動で崩れつつあることに怯え、身をすくめているだけではないのか。餓える怖れのない社会にいることで、我々は生きることへの根本的な問いを見失っているのではないか。自らの意思とはかかわりなく誰かに道を与えられ、主体のない人生を消費し、それに浮かれて来ただけではないのか。
困難に見える現在こそが、正味の人生なのである。
今は、臥薪嘗胆して淡々と経営や生活の防衛に専念する者もいるだろう。時には挫けることも、気鬱の中で悶々とする日もある。また、撤退の道を選ぶ者もいるかもしれない。
よいではないか。それも一つの勇気ある選択なのである。疲れたのなら休めばよいのだ。人生を諦めることさえなければ。
でも、環境の厳しさを嘆き、時代の暗さに怯えた言葉を語って何が得られるのだ。被害者意識から何が生れると言うのだ。君がそう振舞うことは、未来を託す子供たちや後に続く者たちの精神を萎えさせるばかりでなく、彼らの人生を徒労感から始めさせる大きな罪を犯すことでもあるのだと思え。
会員の方はここからログイン

昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
江刺の稲
「江刺の稲」とは、用排水路に手刺しされ、そのまま育った稲。全く管理されていないこの稲が、手をかけて育てた畦の内側の稲より立派な成長を見せている。「江刺の稲」の存在は、我々に何を教えるのか。土と自然の不思議から農業と経営の可能性を考えたい。
ランキング
WHAT'S NEW
- 年末年始休業のお知らせ
- (2020/12/17)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2020/08/07)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2019/12/12)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2018/12/25)
- 展示会に伴う一部業務休業のお知らせ
- (2017/10/04)
