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江刺の稲

わが友としての農業経営者に

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第63回 2001年05月01日

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 我々は後に続く者に残せるものなど何もないのである。もし、残すべき価値のあるものがあるとするなら、それは我々が、“誇り”を持って生き続けたという事実だけだ。

 仮に彼らの考えることも歩む道も違ったとしても、また、今はまだ君を理解できず離反して行く時があったとしても、彼は君の誇りに自らを励ます時が来るだろう。それでよいではないか。

 だとすれば、今、我々が歴史の奔流に弄ばれているというのなら、その嵐の中に上げ潮や追い風を見出すことが我々の責務だと考えよう。義務を果たす対価として権利を要求する者としてではなく、自らの責務を果たすことの誇りを対価として生きる者として。その中でこそ健康な欲望を追求しようではないか。そんな時だからこそ“戻し続ける”勇気を持とう。

 “弱肉強食”を語る論理は嘘である。強い者が勝つのではなく、必要とされる者が選ばれるのだ。君には、君の、その人に合う経営と生き方があって良いのだ。市場社会という「お客様」に試されて、歴史と自然と社会にという「お天道様」に裁かれる勇気を持とう。そして、それしかないのだ。

 むしろ、暗い闇の中であればこそ、白昼には気付くことのできない小さな灯り見出すことができるのだ。目を凝らしてみよう。その小さな灯りを見失うことがなければ、それは少しずつ輝きを増していくだろう。そして、その灯りに慣れたころ、その光を反射するかのように君自身が発する輝きに気付くはずだ。

 『夢』を見る。そしてそれを語ることを通して自らの未来は明るく照らし出されていくのだ。

 困難な時代であればこそ、それをチャンスとして生きようではないか。そんな時代に内なる未来への夢をふくらませ、それを人生の楽しみにできる幸運に感謝しようではないか。我々の人生は1回しかないのだから。

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