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新・農業経営者ルポ

草取りは、上手くなっては駄目なんだ

しかし、そんな時代の中でも顧客やマーケットを自覚す経営者たちは育っていた。そればかりでなく「土に戻し続ける」という農家としてのあるべき姿を追求する中で、「人と土」とのかかわりを「事業者と顧客」、「経営者と社会」に模して語れる農業経営者もいた。イノベーション(革新)をテーマにした今月号の特集に合わせて、すでに現役を引退されているが、筆者に本誌の創刊を動機付けた高松求(77歳)のことを紹介したい。高松の農業経営者としての人生こそ、農業の革新者そのものであると思うからだ。


問題を見据える知性

1949年(昭和24年)、杉本求(旧姓)は、茨城県牛久市女化町の高松家に18歳で幼女となっていた高松久子と結婚。高松家の家名を受け継ぐ形で農業経営者としての人生を歩み始めた。

農業といっても、東京の池袋で幼稚園を経営していた先代が病を得て療養先として移り住んだ住宅と45aの畑があるだけだった。すでに先代は亡くなり先代の後添えだった姑と高松夫妻の生活が始まった。姑は女化に図書館を作るような文化人であったが、農業をする人ではなかった。暮らしは若い高松夫妻の肩にかかっていた。

結婚当初の高松は農業について十分な知識を持っていたわけではない。45aの畑は当時にしても農家の経営耕地としては小さなものであったが、高松はその草取りに追われていた。草取りを日常にして育ってきた当時の農家たちとでは体のつくりが違っていた。手が遅く、どうしても彼らの野良仕事の早さについて行くことができない。何も考えずにひたすらに草に向かうことも高松には苦痛だった。しかし、高松は後日こう話していたことがある。

「草取りは、上手くなっては駄目なんだよ」

季節や作物は時を待ってはくれない。その始末をつけるために仕事をこなす辛抱強さは肝心なことだ。でも、草取りを体で覚え、それができてしまう者は、草を取らずに済む農法的な除草の工夫に知恵を使おうとしない。日常の中で人々が体得し受け継がれてきた習慣や自分の仕事の問題点に気付こうとしないからだ。革新は自らの弱点や問題を見据える者によって実現されるのだ。


先代の建てた家を壊す

結婚して4年、高松は先代が建てた家を壊して新築した。家の建っている場所が道から畑に至る通路をふさいでおり、それが経営発展の妨げになるという理由からだった。まさに「創造的破壊」そのものである。車といっても当時はリヤカーの時代である。にもかかわらず、高松は作業道そして仕事の動線を合理化することこそが作業改善の必須の条件だ考えたのだ。先代が残したものを壊すことに躊躇はなかった。自らの農業への夢と強い確信があったとはいえ、婿入りしてわずか数年の青年が出した結論は人々の賛同を得られたのだろうか。その費用負担も経営的には大きなものだったはずだ。親戚内には新参の婿の理屈に対して異論もあったのではないだろうか。でも、高松はそれを実現した。まさにイノベーションである。そこから高松の革新的農業経営は始まったのだ。

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