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新・農業経営者ルポ

草取りは、上手くなっては駄目なんだ

結果は、10aあたり5俵。高松にとっては不満な収量であったが、慣行の陸稲の平均的収量よりは増収であった。それもあの天候不良年においてだ。しかも、コメ不足もあって、1俵2万9000円で売れた。

その後、連作は無理だがコシヒカリを畑で作り水田での作に匹敵する収量と食味を得るという結果を出している。

高松が常識にとらわれないのは、経験と明確で独自な技術観を持っていたからであろう。そうと決めたら、後は的確な作業を計画通りに行なうこと。それが革新と成功をもたらすのだ。

ほかにも、落花生は花の咲く頃まではマルチをして栽培するのが関東の標準であるが、高松はそれを無マルチで栽培するようになった。麦の間作として栽培されていた時代は無マルチが当たり前だった。それは間作という条件よりも土壌管理の悪さや草取りを忌避する農民意識がマルチを必要としているのではないかと考えたのである。

土を作り、カルチがけを厭わぬ高松の落花生は無マルチでもまったく問題が無い。

さらに、落花生の収穫前にくず麦を緑肥として播く。落花生の収穫で土とまぶされるだけで特に覆土や鎮圧をするわけではない。それで有機物が供給され土壌飛散も減る。この高松らが始めたくず麦緑肥の利用はいつの間にか地域の技術として定着した。

また、高松は落花生を転作田で栽培する技術を開発し、農林大臣賞を受賞している。

今でこそ各地で見かけるようになったが、倉庫兼作業場を2階建てにし、その2階の天井に走行クレーン付きの電動チェーンブロックを付けた立体的なつくりも高松の自慢のアイデアであった。

使わぬ作業機類は2階に吊り上げて収納し、下のフロアのスペースを確保するためだ。また、最近の機械はキャスタやスタンド付きのものも多いが、作業機を載せて簡単に移動できる台車も便利な道具だった。


野菜農家と組む交換輪作

経営の形も独自の発想を持っていた。高松の経営は畑地帯の女化に住みながらも水田地域に農地を借りての水稲生産が中心だった。しかし、面積規模は最大時でも5ha程だった。夏作の水稲だけを拡大することはせず、裏作の麦に力を入れていた。それも水田裏作だけでなく、野菜作り農家にも土壌管理のために麦作りを勧め、その作業を請け負っていた。野菜農家にとって麦はクリーニングクロップであり、とくに高松の住む地域の極めて細かく軽い土は、冬作をしなければ春先の風で飛ばされる。夏冬2回の作業で無理なく機械償却を早め、しかも地域全体の土壌管理を考えてのことだった。

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