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さらに高松は、畑で水稲を作った経験も生かし、圃場基盤を作ることで、水田で現在のような大量の水を使わずに水稲を栽培する稲作技術を確立しようとしている。そうなれば、水田でも多様な作物を隣接しても作れるようになり経営的にも大きな効果を出せるはずだと考えている。高松は老いてなおイノベーションに取り組むのである。
こうした経営と農家の暮らしの革新に取り組んできた高松は、何を求めてそれに取り組んできたのであろうか。金が目的とは思えない。でも、普通作で必ずしも大規模というわけでもないが、その経営は結果として高い収益性を得ていた。子供を医学部に進学させ、慎ましくとも豊かな暮らしであることは、はた目にも見て取れた。そして、高松農場を継ぐことになった安部から賃借料も取らずに老後の暮らしを楽しんでいる。
「戻し続けること」という高松の農業経営の理念は、「利益は結果であり未来への手段である」という思想につながっている。そして、イノベーションを実現する経営者の多くもまた金よりも彼自身の強い自意識と現状革新に対する強い思いこそが思考と行動のベースになっているのだろう。彼らの多くは結果として経済的利益も得ることになるが、彼らにとっては金を得ること以上に自らの夢の実現こそがテーマなのであろう。(文中敬称略)
こうした経営と農家の暮らしの革新に取り組んできた高松は、何を求めてそれに取り組んできたのであろうか。金が目的とは思えない。でも、普通作で必ずしも大規模というわけでもないが、その経営は結果として高い収益性を得ていた。子供を医学部に進学させ、慎ましくとも豊かな暮らしであることは、はた目にも見て取れた。そして、高松農場を継ぐことになった安部から賃借料も取らずに老後の暮らしを楽しんでいる。
「戻し続けること」という高松の農業経営の理念は、「利益は結果であり未来への手段である」という思想につながっている。そして、イノベーションを実現する経営者の多くもまた金よりも彼自身の強い自意識と現状革新に対する強い思いこそが思考と行動のベースになっているのだろう。彼らの多くは結果として経済的利益も得ることになるが、彼らにとっては金を得ること以上に自らの夢の実現こそがテーマなのであろう。(文中敬称略)
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高松求 タカマツモトム
茨城県牛久市。1930年、茨城県生まれ。1947年、茨城県牛久市の高松家への婿入りをきっかけに、本格的に農業を始める。以後、茨城県を代表する農業経営者として多くの人々に影響を与えた。98年には、「『土の力』を引き出す米づくり、『豚の心』を読んだ飼養技術、『地域の教育』を重視した近隣の子供たちへの竹林の開放などユニークな活動を展開」などを理由に、山崎記念農業賞を受賞。引退した現在も、若い経営者たちや業界人、研究者にヒントを与えリードする指導者になっている。
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