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人生・農業リセット再出発

上善如水

「上善如水」という言葉がある。
「上善如水」という言葉がある。酒の銘柄のことではない。老子日く、「上善は水の如し。水はよく万物を利して争わず、衆人の憎む所に居る」に由来する。水は、相手の器の形に従って自由自在に姿を変える柔軟性を持っている。あらゆる生物に多大な恩恵を与えつつ、水は人の嫌がる低きに流れ行く謙虚さを持つ。それでいて硬い岩をも打ち砕く力を秘めている。理想的な生き方をしようとするならば水のあり方に学べと言う教えである。

 「愛」の漢字は「受」の中心に「心」を入れる。相手の心をもっとしっかりと受け止めるためには、もう一本のつっかい棒が必要となる。「必ず」は「心」に「1本のクサビ」を打ち込む漢字と似ている。

 我が家の隣に大工さん夫婦がいる。真面目でよく働く彼に棟梁がボーナスをはずんでくれた。家に帰ってその給料袋を奥さんに手渡すと、喜びながら仏壇の引き出しにしまった。ビールで乾杯しようとする奥さんに返事をしないまま、俺は外で一杯やってくると彼は外出した。それから半年後、懸命に働いてまたボーナスを持ち帰った。奥さんは喜んで受け取り再びダンスにしまいこんだ。彼はテーブルをひっくり返して家を飛び出した。途方にくれて泣きながら奥さんは我が家に駆け込んできた。私は彼に会った。俺が一所懸命に働いたのは、あいつの喜ぶ顔が見たかったから、それを給料袋を開けて見もしないで…と言う。だったらそう言えばいいじゃないか。言わなくても分かり合うのが夫婦でしょうと彼。

 さてこの問題はどこにあるか? 人は良かれと思って行動している。相手に喜んでもらおう、誉めてもらおう、認めてもらおうと思っていつも行動している。運動会で子供が無心に走るのも、茶パツ、ピアスも根底にあるのは相手にメッセージを送り続けているのだ。「人」が「云う」で「伝える」になる。云わない限りは伝わらない。では誰に向かって伝えようとしているのか。それは愛するアナタに発信されているのである。誉め言葉とお世辞は違う。いいなと思ったら些細なことでもいつでも口に出して相手に伝えてあげる。身近な相手だからこそ、それが必要であり、それが受け止めてくれるあなたの愛である。

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