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江刺の稲

もう一度「問うべきは我より他に無し」

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第64回 2001年06月01日

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小泉純一郎氏が自由民主党総裁選挙で圧倒的な勝利を収めた。それを決定付けたのは職業的政治家の決議ではなく、地方自民党員による予備選挙だった。
 小泉純一郎氏が自由民主党総裁選挙で圧倒的な勝利を収めた。それを決定付けたのは職業的政治家の決議ではなく、地方自民党員による予備選挙だった。その結果に示されたのは候補者である小泉氏自身を含め、永田町の国会議員たちの予感をはるかに超える党員の変化だった。

 自民党の過半数割れにともなって成立した非自民七党一会派の連立による細川政権(1993年)や自民・社会両党が新党さきがけを巻込み社会党委員長を首班とする自社さ連立政権の誕生など、いわゆる「55年体制の崩壊」といわれた一連の「政権交代」劇よりも、それははるかに大きく深い意味を持つ日本人の意識の変化を示す事件ではないだろうか。

 今回の自民党総裁選挙では全ての候補者が「建て前」として「構造改革」を語った。しかし、その断行のために「マイナス成長も止む無し」との政見を掲げた小泉氏を、圧倒的多数の自民党員が支持したのである。彼等の多くは、その『構造』の末端に連なる「利害」の当事者たちであり、その構造に金をつぎ込み続けることで景気の向上や社会の安定が与えられることを信じようとしてきた人々なのだ。

 今回の地方自民党員の行動は、出口無しの不景気の中で(むしろそうであればこそ)退路の無い現在を直視し、自らの痛みを承知の上で(「自己責任」において)「利権誘導の政治」から脱却する地方自民党員の意思を示したものなのではないだろうか。

 戦後の日本人を動機付けたものは飢えからの開放であり、平和と豊かさへの希求であった。やがて、日本は奇跡と言われた経済復興を果たしていく。さらなる成長への願望とその成功体験は、成長の永続を信じて疑わぬ「成長神話」の盲信へと日本人を導いた。

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